2018年7月7日土曜日

そのスピードは。

こんばんは。

今日は年に一回の、会社の大会がありました。

大会といっても、話を聞くだけなのですが。

お招きした講師のかたが、100分間講義をして下さるのですが、講義中に結構、隣の席や近くの人とのスキンシップを求めてくるシチュエーションがあったり、何というか、話し方に勢いと、声の大小に抑揚があったりで、時間が経つうちに何となく、気負いしてきている自分がいて。


聴き手が飽きないようにもあるのか、ところどころで、前のほうの席の人に質問を多々投げ掛けるのですが、休憩を挟んで後半の50分、ついにわたしのほうにもきました。

(1番前の、席だったので。)


質問投げ掛けられるのですが、質問に入るまでの話や、質問のテンポがわたしには早すぎて、全く頭に入ってきていなくて。


全然こたえられませんでした。

もう一度、説明して下さるのですが、わたしの頭のなかはもう真っ白だし、言葉は耳をすり抜けるどころか、入ってもきていなくて。


ただ、苦痛でした。


去年くらいまでの私であれば、感銘を受けるお話であるのだろうなと思うのですが、(恐らく戦略であるのでしょうが)、『間』のあまりない後半の講義は、ただ、息が詰まってゆくだけでした。


事実、質問されて以降、妙に落ち着きのなさが増したり、息も深く吸えなくなったり。


講義のかたに限らず、一方的にダダダと話をされてしまうと、呼吸出来なくなってしまう私です。


薬持って行けば、良かったかな。


あ、



最近、『抗不安剤』を飲み始めました。

クロチアゼパム錠「サワイ」


パニックになりそうな、通勤の時間前に。


「飲んだから大丈夫。」という気休めなのか、本当に効果があってなのか、少し落ち着いているような。

この前行った近所の精神科は、正直期待出来る感じではないのかな、と思ってしまったけれど、薬もらうだけ、通ってみても良いのかもしれません。



一先ず、



今日は、ココロぐったりです。






2018年6月25日月曜日

これもパニック?

こんにちは。

今日、お仕事中にパニックのようなものになりました。

パニックのようなもの。


いつもと違う状況でなったので、これが果たして、パニックの症状だったのかは、不確かなのですが。

午前中、地上で立っている役割の仕事をしていました。


最初は何ともなく作業をしていたのですが、途中から、何となく落ち着かない。


昨日から、少しけだるさのある風邪になったので、その感じかなと、思っていました。

お腹も空いてきたし、何となく暑さも感じてきたし、やや呼吸が乱れる?

そうすると、徐々に具合が悪くなってゆき、吐き気、落ち着きがなくじっと立っていられない、止まらない汗。


電車のなかで起こるパニックの、症状のような。

ただ、


風邪、空腹、暑さというのがあったので、これが原因であったりもするのかなと思いましたが、さっきまで何ともなかったのに、一変して急に具合が悪くなるのは、パニックと似ているなと、感じました。


丁度よく、今日これから新たな精神内科さん行ってみるので、お話してみようと思います。


一体、何だったのだろうなぁ。。


(ちなみに、お仕事は、立っていられなくなってしまったので、お手洗いに行き、少し落ち着いてから、作業再開させてもらいました。)

(&、空腹であったはずなのに、具合悪くなって食欲が一気に失せてしまったので、果物の入ったゼリー1つだけ、お昼に食べました。)

2018年5月24日木曜日

どちらにも、転べるのでしょう。

こんにちは。

最近、また声の出が悪くなったと書きましたが、完全に、前のような詰まり声が復活してしまいました。

声を発するのに、頭で言葉を考えてから発したり、息と共に言葉を吐き出すように、勢いをつけて声を出してみたり、それでも詰まってしまい、声を出すことがとても苦しくて、苦痛。


段々と、治ってきたのかと思ったら、またこうして出なくなってしまい、残念な思いがつい、溢れてしまいます。


治る見込みもあるということと、治ってもまたダメになってしまう可能性も十分にある、ということ二つが、分かりました。

**

今朝、住んでいる地域での心療内科を検索してみると、なんだかしっかりと検査をしてくれそうなところがあったので、近々行ってみようかなと、思ったり。



2018年5月15日火曜日

復活×復活。

こんにちは。

長いあいだ、『過緊張性発声障害』を患ってきました。

その発声障害から、なんと、解き放たれました、私。


**
先月頃でしょうか?

一つ、心に抱えていたものを、上手く和らげることが出来まして。


そうしたら、今までずっと喉に感じていた喉の"詰まり"が、急にパタンとなくなりました。


「あれ!喉がまったく重たくない。痛くない。」と実感する程の、大きな変化。


確実な、解放感。



あまりに毎日、喉の苦しさ、違和感と共に過ごしていたので、それが当たり前となっていましたが、こんなにも喉が軽くなるなんて、息をすることが楽だなんて。


衝撃と、驚きでした。


喉の詰まりがないので、声もやはり、すんなりと出てきました。


声帯は、弱っていたのか、声量はあまり変わらず、ではありましたが。


その状態が、数週間ほど続き、とても快適な喉の暮らし^_^



もう、このまま完ぺきに声が復活してゆくのかな、と思いました。



しかし、



***
またここ2週間くらい前から再び、声が出づらくなってしまいました。


前のような、苦しさのある、重い詰まり。


精神的に思うことがあったり、お友達と会って声をたくさん発していて、段々と声が出なくなってきたり、パニック発作が久しぶりに起きて、また毎朝電車がとても恐怖だったり、と。


不安定な心を抱いている、日常生活。


声の状態もそこに、イコールされているのでしょうか。


**


大きく環境を変化させること、きっと必要なのでしょう。





分かっては、いるのだけれど。。

2018年5月7日月曜日

久しぶりのパニック

こんばんは。

今日は久しぶりに、パニック発作起きました。

女性専用車両、満員電車。

少しモワッとした空気、周りの人との距離の狭さ。

徐々に上がってゆく心拍数。

最初は、「大丈夫大丈夫。」と甘く見ていたのですが、上がってゆく心拍数に気を取られて、段々と緊張状態もMAXとなってゆき、またいつものように、ほんの一、二分でピークに達して、動悸、息詰まり、冷や汗、震え、意識の遠退き。


気を失わないよう、立っているのに必死。


電車降りて、休憩出来て良かったです。


しばらく汗は引かないし、呼吸も浅いし、気も落ち着かない。


しばらくパニック起きていなかったので、久しぶりにこの感覚、思い出しました。


何度だって、味わいたくないと強く願う、この感覚。



「大丈夫大丈夫。」

と、


決して"大丈夫ではない"ときに、こう言い聞かせているときほど、辛いものはありません。


ちゃんと、"大丈夫"と思える自分を、日常のなかに取り戻したいです。


また明日から、不安な日々だなぁ。

2017年12月1日金曜日

Superfly プレミアムライブ

こんにちは。

この間、11月15日、Superflyのプレミアムライブに参加してきました。

声の不調により、一年半程、活動を休止していて、その復活ライブでした。

どういった不調であったかは、お知らせされてはいませんでしたが、心に受けた影響も大きく原因にあるようでした。


声の不調ということで、(勝手に)親近感が湧いていて、長いブランクを経て聴く、志帆ちゃんの歌声はどのようなものか、とても気になっていました。


不調だった頃を感じさせる、歌声であるのか。


ライブが開演され、第一歌声。


"・・・!"



あまりに不調になる前と変わらない声の出方に、とても驚いてしまいました。


(声の出し方に、以前より、より集中をしているようにも見えました。
地声の低い声を特に、意識しているような?)


不調を感じていたとは思えない、堂々と楽しそうに、そして伸び伸びと声を出すその姿に、ジーンと深く、感じるものがありました。



どこまで声が悪くなってしまったか分からないけれど、Superfly、1年半で復活。


私は、もう何年?


2年以上?、も声が出づらい状態。


志帆ちゃんは、どうやって、復活したのだろう。。?



志帆ちゃんのように、しっかりと復活をして、みんなの前に戻ってくることが出来たのだから、わたしもいつかは、前のように戻れるのかな。


もう、苦しくなく声を出していた頃を、忘れてしまったけれど。


声の出し方、自分の本来の声、忘れてしまった。


常に人に対して、人との接点に対して"怯え"を抱いて、その怯えがわたしの喉を覆っているのだろうけれど、その解きかたが見えてこないと、どうしようも、復活しようもないのでしょうか。

もっと、自分自身がしっかり、導いていかなければいけないのでしょうか。



最近は、精神的にも凹んでいる時期で、全部がネガティブ思考に向かっていってしまいます。


そんな自分から、脱出しないと、と、少しでもポジティブに向こうと思うのですが、なんだか、自分自身に嘘をついている気がして、無理をしている気がして。


落ちられるときには、もっと落ちてもいいのかなぁ。


自分ひとりの時間と心を、今は、もっと優しく抱いてあげたいのです。



まだまだ脱出までには時間がかかりそうだけれど、今は流れに身を任せます。

2017年11月9日木曜日

人との接点?

おはようございます。

少しご無沙汰ぶりの、更新となってしまいました。

この更新していなかった期間、喉の調子はあまり変わりなく、パニックのほうは、女性専用車両に頼ってばかりではありますが、そのお陰もあり、以降起きていません。

(ただ一度、先週くらいでしょうか?
女性専用車両に乗っているときでも、すごく満員の状態で、ぎゅうぎゅうに押されるくらいきついときに、パニックになることをふと考えてしまい、本当にパニックになりそうになったことがありました。
一度、"パニックになりそう"と思ってからは、100%の確率で、毎回パニックになってしまっていたのですが、今回は初めて、発作を回避させることが出来ました。
恐らく、周りが⦅女性⦆ということが、安心させる一つの要素でもあったのでしょうか?)

**
さて、今日書きたいのは、昨日のことです。

昨日はお仕事で、ドアを押さえながら通行人のかたがたに声を掛けて、ドアのほうに通行を促す、という役割をする作業がありました。


もちろん、声を発する作業。


「こちらをお通り下さい。」


何故なのでしょう、ただ、声をかけてアナウンスをすれば良いだけのことなのに、"お声がけをしなくてはならない"という、プレッシャーなのでしょうか。


段々と喉の筋肉が固まってきて、緊張状態が増し、声も詰まってきて、出づらくなりました。


段々と、声を出すことに苦痛を感じました。

声を出すこと?


というより、


"アナウンスをしなければならない(=人と接しなければならない)"ということに、
苦痛を感じていたのかもしれません。



声が詰まったり大きく出なかったので、何人かのかたの耳に、届かないことがあり、悲しくもなりました。

けれど、ドアを押さえている私に、「すみませーん。」や「ありがとうございます。」の言葉は、嬉しいなと思ったりもしました。


人と接することを避けてばかりいた私ですが、今勤めている清掃のお仕事の前は、接客のお仕事をしていたので、人と接することの楽しさということも、思い出させてくれる出来事でした。


遠く、忘れていた感覚。


その分、笑顔だったり、言葉遣いであったり、相手に向けるパワーがとても必要で、わたしにはとても負荷のかかることであったりもするのですが、それもとても重要なことだな、と。


避けてばかりいては、心が触れられる嬉しさを忘れて、ただ臆病の"固まり"となり、抜け出せられなくなってしまう。


自分から、固まりをほぐす努力、ほぐそうとする努力も必要なのだ、と。


発声障害を患って数年、これからの私は、どう進んでゆくのでしょうか。


いつ、声が復活するのか、果たして復活することが出来るのか、まだまだ気長に気楽に、俯瞰的に見るくらいで、自分を回復させてゆけたらと、思います。