2016年8月17日水曜日

変化かな。



おはようございます。



昨日はお友だちと夜、日本橋でご飯していました(^^)

おしゃれな雰囲気のお店で、お料理もどれも美味しかったです。


2時間ほどお店にいて、お互いの近況や相談話など。


ここ最近、“意識”を改めることにより、声や気の持ち方にも少し変化が現れてきているようでしたが、さすがに沢山お話をしていると、声が徐々に出なくなっていました笑

最後は特に、絞り出すように声を出していたなぁ。。

けれど、


今までは声が出なくて、「苦しい。」、「まただめだ。」、「話すのやめちゃおうかな。」など考えてしまっていましたが、昨日は声が出なくて苦しくても“それきり”。


あまり声が出ないことに関して、その先の感情を考え過ぎないようになっていました。

落ち込まなくなった。

そうなると、今までは無理矢理、気分を落ち込ませていたようにさえ思います。


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ヨガや瞑想法など、《呼吸》をすることに新たな考えかたが加わり、向かってきてくれるあらゆる物事を上手く、吸収出来るようになってきた、というところでしょうか。


さて、お仕事頑張ってきます。

今日はなかなか暑そうだな。



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↓昨日、お友だちにもらった金沢のお土産と、ハンドクリーム。
美味しそうなものと、可愛いもので気分が上がります♪

2 件のコメント:

  1. りとるさん

    ”落ち込まなくなった”それだけでも、ずいぶん楽になったのではないでしょうか。

    だんだん、気持ちも、症状も(?)コントロール出来るようになってきているようですね。

    ”呼吸”は”息する”につながり、”息する”は”生きる”につながります。

    ギリシヤ語の”息”の意味の”プシュケー”も、”命”や”魂”を表します。

    また、サンスクリット語(古代インド語)の”プラーナ”も、”息”を意味しますし、同時に”命”も意味します。また、最終的には、この宇宙を成り立たせる”根本原理”とも同一視されます。

    このプラーナを、意識的にコントロールするのが、ヨーガの一技術、”プラナ・ヤーマ”です。

    現代人は、息についてほとんど意識することがなく、息が浅く、短い傾向にあります。それは、”息”を粗末にしている。つまり、”生きる”こと”心”を粗末にしていることにつながるのではないかと思います。

    長くなりましたが、参考になさって下さい。

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    1. JK1KOZさん

      こんにちは。
      コメントどうもありがとうございます。

      はい、声がでなくて落ち込むことがとても苦しかったので、今ではずいぶん楽になりました。
      長く症状と付き合ってきたお陰と、意識への改善のお陰なのでしょうね。

      たくさん書いて頂いた息する=生きるについて、ヨガを始めてみたり、瞑想法など触れてみたりして、まさにそうだなと感じるようになりました(^-^)

      ふぅーっと深呼吸するように身体を使いながら呼吸をして、人間ってここまで深く行を吸えるのかと。
      そうなると自然と呼吸もゆっくりするようになり、日々急いで過ごしてしまっている時間さえ、何か違うかなと思うようになりました。

      そう、感じさせてもらえる大事なことなのでしょうね、呼吸をすること、生きることは。

      息をして、命伸ばして、魂を喜ばせる。

      自然と、心と日常が豊かになってゆく感覚がひしひしと伝わってきています(^.^)

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