2016年10月21日金曜日

心配をかけて。


こんばんは。

ひとつ前の日記で書かせてもらった、電車での出来事。

とても精神的にもまいってしまい。

私はマイナスの感情になるとつい、Twitterで思わず負の文章を綴ってしまいがち。


誰かが見ていると分かっていても、ここに綴るということは、“伝えたい”、“知ってもらいたい”という思いが強いからなのでしょうか。

大きな心配をかけさせてしまうことは、「本当にすみません。。」と思うのですが、私みたいに、直接誰かに言葉や表情、動きで辛さを表現することが苦手な人にとって、“文字(文章)”というものは喋っている言葉と同じくらい生きているもの、なのではないかなぁと。
色や熱がこもっているもの、なのです。


私は、声を出して思いや自分を出すより、文章にする方がとても楽で、より思っていることを出せるというか、ナチュラルに自分が出てくる、そんな感じでしょうか。


ーーー

案の定、私のマイナスツイートを見て、家族が特に心配をしてくれて、父からメッセージもらったり、母や妹は次の日、わたしのお家のほうまで来てくれました。


「限界を越えた。」と綴ってしまったからでしょうか。

温かいです。


一緒に外で、夜ご飯を食べました。


美味しかったです。



家族といると、私が子供だった頃から今に向かっての成り立ちを、垣間見るような気がします。


小さい頃は、『無表情だった。』と祖母に心配されていたそうです。


確かに、“我”がいなかったのかも、我を持っていなかったかもしれません。


好きなアーティストに出会ったり、音楽をするようになったり、恋愛をしてきたり、一人暮らしを始めたり。


そうしてようやく、《自分》が生まれてきたような。


けれど、人と接するようになり《自分》が消えてしまうことも増えました。


言いたいことを言えない、自分をうまく出せない、人の目が気になる、相手のことを気にしてしまう、、



《自分》は生まれたけれど、《人といるときの自分》は上手に育っていない、感じ?、、



こういうのって、慣れ、なのでしょうか?


とはまた、違うものかなぁ。



でも、少しこれが改善されそうな出来事と言いますか、観点が変わりそうなこと(案外小さなことです。)があったので、それはまた、次に綴りますね。

それでは。

2 件のコメント:

  1. りとるさん

    そうでしたか。

    おいしそうな、カレーをいただいたようですね(笑)

    自分の感情をうまく人前で表現できない。文章や、音楽などの方が表現しやすい。人を必要以上に意識して、自分を委縮させてしまう。

    このような傾向に気付いたとのこと。

    これは、慣れるとか慣れないという問題ではないようですね。

    りとるさんの特質といいますか、心理的傾向であって、逆にそういった本来の”自分”を、世間に順応するために、抑圧してしまったことが様々な障害の原因なのかもしれません。

    ここは、やはり専門家に相談するのが、一番だと思います。

    無論、ヴィパッサナーや呼吸法は、補助として確かに有効でしょう。

    上手に併用してみて下さい。

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    1. JK1KOZさん

      はい、カレー、想像以上の美味しさでした(*^^*)

      そうなのですね、慣れだとかの問題ではないのですね。
      そう分かっただけでも、ひとつ安心が出来たようです。

      自分でしていた抑圧、多かったかもしれません。
      癖づいてしまっているようで、実はダメージもあったのでしょうか。

      病院という、新たに自分の心を理解してもらえる場が必要になっているのかもしれないですね。
      少しずつでも、癒えてゆくといいなあ。

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