こんにちは。
一昨日は、『考えが少し変わりそうな出来事があった。』と最後に書き、今回の日記に託しました。
その、《出来事》について。
出来事といっても、そんなに一大事件のようなしっかりとした事柄ではなく、ほんのちょっとしたことなのです。
私は昔から、人に見られるということが苦手でした。実際、相手は私のことを見ていなくても、何だか顔がこちらに向いて見られている気にもなる。
電車のなか、すれ違う人々、信号待ちの向かい側の人、、
そのたびに顔や視線をそむけ、時には勝手に不機嫌にもなっていました。
一昨日、お仕事をしていて外に立っているときのことでした。
反対側の通路を歩いているかたがこちらを見ているようで、「何だか嫌だな。」と感じていたのですが、実際、本当に見ていたようで、私に声をかけてこられました。
「突然ごめんね!女の子で珍しいね、このお仕事(男性がメインのお仕事なのです。)。あなたもあれやるの??」
とても気さくに、話しかけて下さいました。
そして、「頑張ってね、急に話しかけちゃってごめんね!」と、片腕を上げ、私に手を振って帰られました。
そして、思ったこと。
“こんなフランクに接して下さったのに、初め、『見られているから』と嫌悪感抱いてしまった自分、ダメだな。”と。
相手のかたに申し訳ない。。
もし、話しかけてもらうことがなければ、その方は私にとって嫌な印象で終わってしまいました。
「第一印象と、実際の人柄とのギャップ」のようなものでしょうか。
見られているその一瞬の《切り取り》だけで、相手や物事の印象を決めてしまうのは、それは私の自分勝手な行動だなと、思いました。
*
その日の帰りも、自宅近くのドラッグストアで化粧品を見ていて、そばにアドバイザーの店員さんがいらっしゃって、何となく『その場に居づらいな…』と感じてしまったのですが、「そちら、新商品なんです(^^)」とお声かけをして下さった声は、とても親切で愛想のあるものでした。
「店員さんが私のそばにいる」、その《切り取り》。
けれどその先のストーリーを覗いてみたら、それは温かみや笑顔も交えるもので。
なので、
『自分の勝手な印象だけで、周りの人を嫌に思ってしまうのはやめよう。』と、思いました。
その先のストーリーも、覗いてみようと。
もし発展がなくて覗けなくても、思い描いてみることで、ほっこりする続きがあるかもしれない。
そう思うと、常に自分をまとってしまう重たい鎧から、少しは解放されるのではないか。。
*
翌日も、お仕事で外に立っていたところ、女性の年配のかたが私を見て、「偉いね、頑張ってね^^」と。
《見られている→応援して下さる》
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目の前に現れた駐禁取り締まりのかたが車を見たついでに、そばにあった金木犀の木の枝を自分の顔に寄せ付け、お花の香りを嗅いでいました。
《駐禁のひと→ほっこりする光景》
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電車に杖をついたかたが現れ、目の前に座っていた女性が席を譲ろうと。
けれど、杖を持っていたかたは「いいのいいの、すぐだから。大丈夫だから。」とのお言葉を。
そして、次の駅。
乗客が乗り込んでくる。
《乗り込んできた乗客が杖のかたに気がつく→席に座っている人たちは席も譲らず、“冷たい”のではないかと思う→実はそうではない》
***
よく、芸能界だとかの情報や言葉の発信も、ニュースや書き込みの人たちに“オイシイ”部分だけ《切り取られ》て、「こういう意味合いで言ったのでないのに。」や、「この言葉の前にはこういうお話もしていたんですよ。」というようなことを聞いたりするけれど、こういうのも《切り取り》の世界なのでしょう。
切り取られた部分だけ、自分に取り入れるか、
切り取られた部分に何を見て、何を繋ぎ合わせるのか、それが大事なのかなと、気づいた出来事たちでした。
なんでしょう。
心弱っていたり、不安定なときって、考えさせられたり気づいたりすることが多いです。
だから、
弱ることも好きなのでしょうか。
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