二つ目の更新。
この間、通い始めた心療内科での、初カウンセリングを受けてきました。
30分程のカウンセリング、
最近起こっている症状や、私自身のことを、自ら話をしたり、質問を受け答えたり。
男性のカウンセラーのかたで、ゆっくりと話を聞いてくれ、じっくり考えてくださる感じが、あまり嫌に感じられなかったので、今後、私の担当になって下さるとのことで、これから少しでも心開いて、色々話をしてゆけるといいなと、思います。
ひとつ、最近気になっていたことがあって、そのことをカウンセリング中に持ち掛けてみたところ、『それは少し、問題がありそうですね。』とのことでした。
『何か、(人が苦手であることの)ヒントがありそう。』、と。
その、気になっていたこととは、“小さい頃の記憶がないこと。”
一般的には、3~4歳を過ぎたころくらいから、人って記憶があるようです。
けれど私が記憶があるのは、恐らく小学校6年生くらいからの12歳から?
そのことをカウンセラーのかたにお伝えをしたら、少し驚かれているようでした。
幼稚園や小学校、お友だちや習い事、学校の光景などは何となく覚えていますが、日常的な生活の様子などは、ほぼほぼ記憶になく。
写真を見て、「ああ、ここに行ったんだな、こんなことしたんだな。」と思うことはあっても、それは写真の存在に助けられているという感じで、そのときの様子や時間の流れ、感情などは、まったく覚えていません。
カウンセラーのかたいわく、『記憶がないくらいなので、記憶を消してしまいたいと思っていたから、ないのでしょう。なので、人と接することが苦手、人から見られるのが嫌という理由のヒントはここにあるのだと思いますが、ヒントを探って、記憶を思い出していくうちに、昔感じていた嫌な感情も、思い出してしまう可能性もある。そこは、本人がどうしたいか。
もうあと、2~3回カウンセリングで話を聞いてみて、今後どう、カウンセリングのメニューを組み立ててゆくか、決めましょう。』とのことでした。
パニック、人間が苦手、昔の記憶。
まさか、小さいころの自分に、今起きている症状や障害のために、触れてしまうかもしれないなんて。
このまま、思い出さずに封印させておきたい気も大きくあり、けれど、昔の自分が出していた“SOS”が、こうして今、危険信号として《障害》となっているのなら、少し、昔の自分を自分自身の腕で、大きく抱き締めてあげたい気も。
《発声障害》、《パニック障害》、色々と繋がって連鎖して起こっている、出来事なのでしょうね。
そういえば、カウンセリングの最後、カウンセラーのかたに、『一日の終わりに、“今日も無事だった”と、自分自身に言ってあげてください。』『そんなに(人に)、怯えることはないですよ。^^』と、おっしゃってもらいました。
最後の言葉が無条件に、深く心に響きました。
思わず泣いてしまいそうな瞬間、でした。
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次回のカウンセリングは、1月中頃です。