2016年12月29日木曜日

心療内科、初カウンセリング。



二つ目の更新。


この間、通い始めた心療内科での、初カウンセリングを受けてきました。

30分程のカウンセリング、
最近起こっている症状や、私自身のことを、自ら話をしたり、質問を受け答えたり。


男性のカウンセラーのかたで、ゆっくりと話を聞いてくれ、じっくり考えてくださる感じが、あまり嫌に感じられなかったので、今後、私の担当になって下さるとのことで、これから少しでも心開いて、色々話をしてゆけるといいなと、思います。


ひとつ、最近気になっていたことがあって、そのことをカウンセリング中に持ち掛けてみたところ、『それは少し、問題がありそうですね。』とのことでした。

『何か、(人が苦手であることの)ヒントがありそう。』、と。


その、気になっていたこととは、“小さい頃の記憶がないこと。”



一般的には、3~4歳を過ぎたころくらいから、人って記憶があるようです。


けれど私が記憶があるのは、恐らく小学校6年生くらいからの12歳から?


そのことをカウンセラーのかたにお伝えをしたら、少し驚かれているようでした。



幼稚園や小学校、お友だちや習い事、学校の光景などは何となく覚えていますが、日常的な生活の様子などは、ほぼほぼ記憶になく。

写真を見て、「ああ、ここに行ったんだな、こんなことしたんだな。」と思うことはあっても、それは写真の存在に助けられているという感じで、そのときの様子や時間の流れ、感情などは、まったく覚えていません。



カウンセラーのかたいわく、『記憶がないくらいなので、記憶を消してしまいたいと思っていたから、ないのでしょう。なので、人と接することが苦手、人から見られるのが嫌という理由のヒントはここにあるのだと思いますが、ヒントを探って、記憶を思い出していくうちに、昔感じていた嫌な感情も、思い出してしまう可能性もある。そこは、本人がどうしたいか。
もうあと、2~3回カウンセリングで話を聞いてみて、今後どう、カウンセリングのメニューを組み立ててゆくか、決めましょう。』とのことでした。




パニック、人間が苦手、昔の記憶。


まさか、小さいころの自分に、今起きている症状や障害のために、触れてしまうかもしれないなんて。



このまま、思い出さずに封印させておきたい気も大きくあり、けれど、昔の自分が出していた“SOS”が、こうして今、危険信号として《障害》となっているのなら、少し、昔の自分を自分自身の腕で、大きく抱き締めてあげたい気も。




《発声障害》、《パニック障害》、色々と繋がって連鎖して起こっている、出来事なのでしょうね。



そういえば、カウンセリングの最後、カウンセラーのかたに、『一日の終わりに、“今日も無事だった”と、自分自身に言ってあげてください。』『そんなに(人に)、怯えることはないですよ。^^』と、おっしゃってもらいました。



最後の言葉が無条件に、深く心に響きました。


思わず泣いてしまいそうな瞬間、でした。


****

次回のカウンセリングは、1月中頃です。

人の気配と緊張感。

こんばんは。

少し前ですが、お仕事中の出来事。

色々と説明を受け、いざ、一人になりお仕事開始。

まず、『説明を受けた』ということに、恐らく普段以上に頭を使った(人の説明を理解するのに、少し時間がかかる)のと、『通行人が来たら、説明をしなければならない』というプレッシャー(声を出さなければならない、人と接しなければならない、苦手な説明をしなければならない)があったためか、徐々に緊張状態に。

途中、通行人のかたが目の前を通り過ぎたり、向かい側から私のほうに向かって歩いて来られることに、怯えのようなものも感じ。

2時間程、ずっと胃のあたりがグッと持ち上げられ、強く鷲掴みにされている感覚が続いていて、とても苦しく、じっと立っていることも必死でした。

唇も震え、首も不自然に何回も左右に振れ、落ち着かない、じっとしていられない、今にも泣き出しそう。


呼吸も苦しく、息がうまく吐けない。

こんな状態のときには、呼吸をするよりも、いっそう、息を止めておくほうが、よほど楽。


過呼吸寸前になりながら、何とか午前のお仕事は終えられました。

人との接点、人の気配や存在が、この日はややキャパオーバーしてしまったのでしょう。



私の症状を知って下さっているかたのいらっしゃる現場だったので、この午前中のことをお話してみたところ、気を遣って頂いて、午後は違う配置へと置いて下さいました。


障害のことを知ってくださっているかたがいるということは、とても助かることだなと、感じました。



                                         ***



写真は、この間のクリスマスに、長野県の《白馬》へと旅行した際のもの。


真っ白く雪が積もっております。


広々とした雪ぞらと青空のもと、普段できないような深い息を吸い込めるようでした。


人の存在で窮屈に縮こまっているわたしの心に、いい場所だったなという感じでした。

2016年12月16日金曜日

諸々。






こんばんは。


お久しぶりの更新です。


実は、書きたいこと色々溜まっていました。


〔更新は、遅くなってしまったのですが。〕



ーーー


*お仕事のとき。


鍵を借りに管理室へ。


わたしの声を聞き、「大丈夫ですか?風邪ですか?」と、担当のかた。


実は、半年くらい前も、同じかたから全く同じ言葉を。


一回目ほど、ショックは受けませんでしたが、風邪でもないので、「大丈夫ですー(^^)」という答えしか出せず。


何と、言っていいのか分からなくなりますよね。


「声に障害があって、、」なども、言えないですし。



ーーー


*お仕事先でのトラブル時の電話。


現場で、トラブルが起きました。


社員さんや担当のかたとお電話にて、このことをお伝えしたり、どう対処すべきかお聞きしたり。


電話で話をする前に、何度も何度も、話す内容をまとめて、練習をしてから、電話をかけました。


話がまとまっていないのに、いきなりかけてしまうと、頭の中が、すぐに、パニック状態になってしまうので。


電話中、パニックにはなりませんでしたが、声が最悪の詰まり具合でした。


声を出すのが、苦しくて苦しくて。


電話越しでしたので、更に相手のかたには、聞き取りにくく感じたのではないでしょうか。


すみませんです、本当。



ーーー


*テンションが高い?


これまたお仕事でのお話。


お仕事の前日、知り合いのかたとお会いしていて、声や身体の不調の話など聞いてもらい、少し気持ちがすっきりしたのか、次の日は気分を明るめに、楽しくゆこう!と思い、お仕事先でお仲間さんと接していると、「いつもと違って少しおかしい?おかしいというより、テンションが高い?」と言われてしまい、その言葉が相手のかたに負の方向に捉えられてしまったのかなと思い、ガタッと気持ちが崩れてしまいました。

(まったく悪い意味合いで、そのかたは言ったわけではないと思います。)


せっかく明るく方向転換したばかりが、一気に逆戻り笑


うーん、明るくいる自分は、やはり私らしくないのかしら?


大人しくあまり喋らないほうが、わたしらしい?


本来の自分を取り戻そうとしているけれど、今の自分のほうが、本来らしく、なってしまっているのでしょうか。



ーーー


*少し、楽しくて、嬉しい。



何度もお仕事ばなしでごめんなさい。



外に立っている役割のとき、何度か通行人のかたが話しかけてくれて。


杖をついているご年配のかたに、「がんばってねぇ。」と言っていただけたときは、なんだかとても、切なくなってしまいました。


通行人のかたが、快く挨拶をしてくれたり、返してくれたり、そういうとき、「ああ、言葉を発して良かったな。」と、感じてしまいます。


嬉しくて、ちょっぴり、言葉の交わしが、楽しい。



(お仕事のワードを発するときも、常に緊張をしてしまっている、わたしです。)



ーーー


*飲み会での、言葉の発し。



お仕事仲間さんの出られるライブをひとりで観に行き。


そうしたら、何人か、お客さんとして、職場のかたが来ていて。


“このあと、どこかお店行くけれど、行く??”と誘われ、普段ならそそくさと逃げるように断って、帰ってしまうのですが、苦手なかたがたではないので、思いきって、誘いにのってみることに。


会場のなか、お店へ移動するとき、飲みの席、


がんばって、頭に浮かんだ会話のフレーズ、口に出してみました。




本来なら、自然な会話のやりとり。



わたしにとっての会話は、とても勢いと勇気のいるもの。



楽しかったというより、頑張った、という感覚が大きかったかなぁ。


それでも、声がちゃんと届いていた。会話できた。


それが嬉しく、



楽しかったのかな、と思います。



これから徐々にでも、頑張ってゆける場所、機会、楽しめる場所、楽でいられる空間、が増えてゆくといいなぁ



、と。







***






写真のお花二枚は、少し前に、お家の近くの公園に咲いていたもの。



普段から、とても身近に感じられる、わたしの嬉しい癒し。




人間よりも、お花にそっと、寄り添えたら、今のわたしはほっこり幸せ。



人間は、これからがんばって、歩み寄ってゆかないと、いけないですね。



そんな、




近頃の諸々でした。