2017年12月1日金曜日

Superfly プレミアムライブ

こんにちは。

この間、11月15日、Superflyのプレミアムライブに参加してきました。

声の不調により、一年半程、活動を休止していて、その復活ライブでした。

どういった不調であったかは、お知らせされてはいませんでしたが、心に受けた影響も大きく原因にあるようでした。


声の不調ということで、(勝手に)親近感が湧いていて、長いブランクを経て聴く、志帆ちゃんの歌声はどのようなものか、とても気になっていました。


不調だった頃を感じさせる、歌声であるのか。


ライブが開演され、第一歌声。


"・・・!"



あまりに不調になる前と変わらない声の出方に、とても驚いてしまいました。


(声の出し方に、以前より、より集中をしているようにも見えました。
地声の低い声を特に、意識しているような?)


不調を感じていたとは思えない、堂々と楽しそうに、そして伸び伸びと声を出すその姿に、ジーンと深く、感じるものがありました。



どこまで声が悪くなってしまったか分からないけれど、Superfly、1年半で復活。


私は、もう何年?


2年以上?、も声が出づらい状態。


志帆ちゃんは、どうやって、復活したのだろう。。?



志帆ちゃんのように、しっかりと復活をして、みんなの前に戻ってくることが出来たのだから、わたしもいつかは、前のように戻れるのかな。


もう、苦しくなく声を出していた頃を、忘れてしまったけれど。


声の出し方、自分の本来の声、忘れてしまった。


常に人に対して、人との接点に対して"怯え"を抱いて、その怯えがわたしの喉を覆っているのだろうけれど、その解きかたが見えてこないと、どうしようも、復活しようもないのでしょうか。

もっと、自分自身がしっかり、導いていかなければいけないのでしょうか。



最近は、精神的にも凹んでいる時期で、全部がネガティブ思考に向かっていってしまいます。


そんな自分から、脱出しないと、と、少しでもポジティブに向こうと思うのですが、なんだか、自分自身に嘘をついている気がして、無理をしている気がして。


落ちられるときには、もっと落ちてもいいのかなぁ。


自分ひとりの時間と心を、今は、もっと優しく抱いてあげたいのです。



まだまだ脱出までには時間がかかりそうだけれど、今は流れに身を任せます。

2017年11月9日木曜日

人との接点?

おはようございます。

少しご無沙汰ぶりの、更新となってしまいました。

この更新していなかった期間、喉の調子はあまり変わりなく、パニックのほうは、女性専用車両に頼ってばかりではありますが、そのお陰もあり、以降起きていません。

(ただ一度、先週くらいでしょうか?
女性専用車両に乗っているときでも、すごく満員の状態で、ぎゅうぎゅうに押されるくらいきついときに、パニックになることをふと考えてしまい、本当にパニックになりそうになったことがありました。
一度、"パニックになりそう"と思ってからは、100%の確率で、毎回パニックになってしまっていたのですが、今回は初めて、発作を回避させることが出来ました。
恐らく、周りが⦅女性⦆ということが、安心させる一つの要素でもあったのでしょうか?)

**
さて、今日書きたいのは、昨日のことです。

昨日はお仕事で、ドアを押さえながら通行人のかたがたに声を掛けて、ドアのほうに通行を促す、という役割をする作業がありました。


もちろん、声を発する作業。


「こちらをお通り下さい。」


何故なのでしょう、ただ、声をかけてアナウンスをすれば良いだけのことなのに、"お声がけをしなくてはならない"という、プレッシャーなのでしょうか。


段々と喉の筋肉が固まってきて、緊張状態が増し、声も詰まってきて、出づらくなりました。


段々と、声を出すことに苦痛を感じました。

声を出すこと?


というより、


"アナウンスをしなければならない(=人と接しなければならない)"ということに、
苦痛を感じていたのかもしれません。



声が詰まったり大きく出なかったので、何人かのかたの耳に、届かないことがあり、悲しくもなりました。

けれど、ドアを押さえている私に、「すみませーん。」や「ありがとうございます。」の言葉は、嬉しいなと思ったりもしました。


人と接することを避けてばかりいた私ですが、今勤めている清掃のお仕事の前は、接客のお仕事をしていたので、人と接することの楽しさということも、思い出させてくれる出来事でした。


遠く、忘れていた感覚。


その分、笑顔だったり、言葉遣いであったり、相手に向けるパワーがとても必要で、わたしにはとても負荷のかかることであったりもするのですが、それもとても重要なことだな、と。


避けてばかりいては、心が触れられる嬉しさを忘れて、ただ臆病の"固まり"となり、抜け出せられなくなってしまう。


自分から、固まりをほぐす努力、ほぐそうとする努力も必要なのだ、と。


発声障害を患って数年、これからの私は、どう進んでゆくのでしょうか。


いつ、声が復活するのか、果たして復活することが出来るのか、まだまだ気長に気楽に、俯瞰的に見るくらいで、自分を回復させてゆけたらと、思います。


2017年8月22日火曜日

初めて感じたキャパオーバー。




こんばんは。

この間、ライブで共演した音楽仲間のかたと、神楽坂でご飯してきました。

積もる話もあり、4時間くらいお喋りしていました。

(わたしはどちらかというと、話すよりも聞くほうが多いかもしれません。)

音楽のこと、お仕事のこと、そして、障害のこと。

音楽活動しているSNSのほうのプロフィールなどに記してある“発声障害”を気にして、お話聞いてくれました。

音楽仲間のかたも、昔経験した、ご自身の不調のことを話してくださり、気持ちのゆとりの面で、やはり身体は悲鳴をあげてしまうものだなと、改めて知ることが出来ました。

そして、それぞれに、悩みや不調など、あるものなのだな、と。


そんなことも感じつつ、盛り上がる話もしたりして、そろそろ帰る時間かなというところで、急に声がガサガサガサ。!

驚。


「あれ?」と、感じてしまうくらい、明らかな変化。

それまでも、確かに声は苦しかったり、かさついてはいましたが、それは普段通りの出づらい声。


それが更に一段、いや、二段くらいもパワーアップしたかのような、掠れ具合。

ここまで出なくなってしまったことは、今までになかったので、自分でもとても、驚いてしまいました。

(音楽仲間のかたは、特に、気になっていなかったようです。)



恐らく、話す量が多かったことと、声を少し張って、話をしてしまったことが大きな原因かな、と思います。

それと、周りに人がいたので、“人の存在”を常に感じながら、食事の時間を過ごしていたことと、“お友だちとご飯”という、やや特別な出来事ということに、少し緊張してしまったのかな、と。


何度か、会話中、周りの人の声が妙に耳に入り込んできて、会話に集中出来ないときがありました。


音がたくさん頭のなかに入ってきて、下手したらパニック起こしてしまうくらいの感覚。

必死に、周りをシャットダウンして、会話に戻ろうとするけれど、それまで、1、2分くらいはかかるのかな。


恐らく、周りの音が気になってしまうから、余計に自分の声も、張り上げてしまうのでしょうね。


自分の声の限度を、越えてしまうというか。


楽しい時間ではあるけれど、緊張しながら楽しんでいるという感覚。


今回のお食事に限らず、日頃から。


自分以外の誰かがいたら、そこはもう、わたしにとっては緊張のある空間。

知っている人でも、知らない人でも、親しい人でも、家族でも。


どうしたらもっと、楽な気持ちでいられるのでしょうか。


どうしてこんなにも、周りを気にしてしまうのでしょうか。



それでも、「楽しい」と感じられたこの日は、自分にとって良かった日なのではないかと思います。


今まで感じてきたキャパオーバーを、更に越えてしまうことがある&越えてしまうと、こんな声になる、ということをシュウトク(←この漢字、いつも迷うのです。)した大切な日でも、ありました。


**


P.S.写真は、神楽坂にある赤城神社。

「磐筒雄命」(いわつつおのみこと)さま。

厄難消除、学問芸術の神さまだそうで。

どうぞ、今のわたしを、宜しくお願い致します。


自分で変えてゆくばかりは、とてもパワーがいるもの。

時には涙流して、強く激しく、すがりたくもなります。



そういう自分と、向き合うタイミングも、恐らく大切なのでしょうね。

2017年8月21日月曜日

耳鼻咽喉科。

こんばんは。

今日は、お仕事帰りに耳鼻咽喉科に行ってきました。


喉、筋肉、呼吸器、血液に異常などないか、気になっている部分の、まずは一つから。

喉に関しては、以前、ボイスクリニックに通うことになった初回の診察のときにも、調べてもらっていました。

念のため、声が出づらくなって二年経った今も、変わりがないか、ということで、ボイスクリニックとは別の、今度は耳鼻咽喉科で。


鼻からカメラ付きの管を通して、声帯など異常がないか、みてもらいました。
(鼻から長い管を入れる、これがなかなか、嫌な感触で。。)

正常、とのことでした。

ひとまず、喉に関しては安心ですね。


次はそうしたら、呼吸器でしょうか?



結果、精神面がいちばん大きいのかと思いますが、不安な要素は、取り除いてから、ですね。

2017年8月6日日曜日

花火大会と、久しぶりのパニック発作。


こんにちは。

更新、だいぶご無沙汰してしまいました。

それほど、しばらくはパニック状態になっていなかったのも事実。

けれど、昨日久しぶりにパニック、起きてしまいました。

*ーー

花火大会を、観に行っていました。

会場にて花火を楽しみ、いざ、帰ろうと、立ち上がり出口へと。

出口へと向かう、人の群れ。

“人が多いな。”

そう思っていると、自然とそちらばかりに意識が向かってしまい、周囲を見渡せば人人人。

“まさかここで、パニックなんて。”

安易に考えていたら、急に緊張してきてしまい。

後ろを見ても、出口に向かう人だらけ。 

空間がない。

もう元には戻れない、この場所から抜け出せられない、という状況に、大きな不安と恐怖を抱いてしまいました。



花火の会場で、お酒も少し飲んでいました。

やや満腹にも、なっていました。

浴衣も着て、お腹が少し、締め付けられていました。

わたしがパニックになりやすい要素が、揃っていたということもあってか、人混みのなか、心拍数は上がり、ふらつき、冷や汗、吐き気、意識の遠のき、5分もしないうちに、立っていられない状況(ピーク達成)になりました。


このまま立っていても気を失うだけなので、人が押し合うくらいの人混みでしたが、しゃがみこみました。 

立っているより、しゃがみこむ体勢のほうが、だいぶましです。


人の目を気にする余裕もありません。

出口へと向かう人の群れのなか、少しずつですが、人の流れはありました。

そうしたなか、しゃがみこむのはとても邪魔な存在だとは分かっているけれど、倒れるよりは、、と。


意識が半分くらい飛んでいるなかで、どうすべきか判断することは、とても困難なことです。


あと10歩くらいというところに、目の前に出口は見えていても、その10歩が果てしなく遠い場所のように、感じます。

電車でパニックが起きるときも、一緒。

たったの一駅すらも、我慢できない。


「大丈夫だよ。あと少しだから。」と言われていても、決して大丈夫ではない状態のときに、その言葉は辛く、感じてしまいます。


「ここでしゃがみこんじゃったら、迷惑だから。」


分かっている、全部、分かりきっている言葉です。


だからこそ、不安と発作を待避できない自分が、悔しくて、とても悲しくなります。


何度だって、あの生きた心地のしない、ほんの5分でも10分でもの時間はご免だと、思い、願ったことでしょうか。


花火会場、帰り道、しゃがみこむ=酔っぱらって潰れている女の子。


そう、思われているのかなぁと、一般的には。


パニック抱えている人の状況や存在も、わたしのことを知ってもらいたいということではなく、少しでも、こういう不安を日常的に抱えている人がいる、と認知してもらえると嬉しいのかな、と思います。



しゃがみこんでいるなか、「大丈夫?あちらのスタッフさんに、道通してもらえば??」と、横にいらした女性のかたが、心配して声をかけてくださいました。


ありがたいです、本当に泣きたくなってしまうくらい、温かみを感じてしまいます。


*ーー


まだまだ、パニックは治っていないですね。


今はどこにも通院していないので、また、病院探すべきでしょうかね。


ひとまず、今度、喉のほうも調べてもらいたいので、耳鼻咽喉科に行ってみようかなと、考えているところです。


喉に関しては、呼吸器科、筋肉や血管、どこを調べてもらえば良いのか分からなくなっていますが、一つ一つ、気になっているところ、おさえていってみようかなぁ、と。


今月は、会社の健康診断もあるので、そちらも、問題ないといいですね。


精神科、心療内科系は調べてもらうとしたら、身体の異常がないと分かって(安心して)からの、一番最後かしら。


*ーー


不安なしに、安心して楽しく、生活してゆきたいものです。

2017年5月31日水曜日

午後はずっと。


こんばんは。

今日はなぜか、午後からずっと、緊張状態。

これといって特別なことなどないのだけれど、ずっと肩に力が入って、呼吸も浅い。

喉もしまっていて、声がとても出づらい。


声を発するのがとても苦しいです。息苦しい。

耳の奥のほうも固く、張っている感じ。



夜から、お友だちとクラシックのコンサートを観ていたのですが、そのときも、話していなくても喉周りがガチガチで、とても苦しかったです。


お友だちといるので、たくさん話したい話題があっても、上手に話を切り出すことも出来ない。


何か話題を出そうとも、言葉を一回考えてから、ためるようにして言葉を発する。


わたしの発声障害のことを知っている彼女でも、聞きづらい声を投げ掛けるのはなんだかなぁ、と。


少し久しぶりに感じた、苦しさでした。。




実は、この間まで通っていた心療内科さん、自分の意思で通うことをやめてしまいました。


何となくですが、違う担当のかたにも診てもらいたいかなと、思い。

心療内科か、また声の専門の病院がいいのか、はたまた、筋肉の固さも大きく関わっている感じがするので、そういうほうを診てもらうべきなのか。


正直、どちらで診てもらえば良いのか、分からない状態です。



心と筋肉と頭と、どこが始まりで、どう繋がって声が出ないのか、苦しくなっているのか。



数式ではないのだろうけれど、始まりが知りたいです。


って、自分のことは自分にしか、分からないのかなぁ。。



難しいなぁ。

2017年5月30日火曜日

首のコリ。

おはようございます。

最近、マッサージ屋さんに行くのにはまっております。

肩、首のこりが激しくて。

マッサージしていただいて、やはり、“首”はかなりの「重症」のよう。

ゴリゴリした固まりが溜まっているのと、全く指が入っていかない様子。


ふと、声の出が悪いのも、ひょっとしたらこういうところと繋がっていたりもするのかな、と思ったりもします。


いや、どちらかなのか。

緊張して、普段から自分の身を守るように、ガードが固くなってしまい、筋肉も強ばってしまったのか。


それとも、


凝りが酷いが為に、声が出づらくなっているのか。


いずれにせよ、「重症」と言われてしまったからには、声の出が精神的なものからきているとしても、コリは治してゆきたいものですね。



**
今までは、《指圧》で押してもらうのみのコースを施して頂いていたのですが、昨日は初めて、《アロマトリートメント》にしてもらいました。


すごーく癒される時間でした(^-^)



コリもほぐしてもらい。


今度また、アロマでお願いしてもらおうかな?

2017年5月9日火曜日

ようやく。

こんばんは。

本日はレコーディング。

何度かテイクを重ねてきた歌。

今日だけでなく、何日かかけて、録ってきた歌。

ようやく、今日、いいものが録れました(^_^)v


いいテイクを求めて、何度も歌い直してゆくたびに、迷路から抜け出せられなくなってしまったように、全然歌えなくなってしまったり、喉がしまっていってしまったり。

集中力も次第になくなり、体力も弱まり。。

とにかく、自分の精神との闘いと、声と喉との向きあいでした。


先月、ピアノサポート入ってもらうライブをして、自分は歌うことにしっかり集中出来るということが一つ、大事なきっかけでもあったのかなぁと、思います。


どう、声を出すか。

苦しくならない声を、どう出せば良いのか。


それと、今回のレコーディング。


声のボリューム、息の出す割合。

今まで、どれだけ気張って声を発していたのか、大きく実感させられるくらい、無理して声を出していたことに、気付かされました。


それはきっと、普段の話し声も同じこと。


話すほうはまだまだ、要領が掴めず、変わらずに苦しく詰まってしまいますが、歌のほうは、ようやく自分に合う声の出しかたが、分かったかなという感じです。


嬉しい。

ようやく、嬉しい。


これからこの声と、自分の音楽を通してどう、付き合ってゆくのか、ゆけるのか、非常に楽しみ。


声が上手に出せなくなったから尚更、声のありかたと常に向き合って、自分の心のバランスを知ることが出来る。


まだまだ、大事に大事に、自分の心をケアしていってあげたいです。

声も、時間がかかってもいいから、また前みたいにスムーズに出てくることが、ありますように。


それがたとえ、一瞬でもいいから、明るく楽しく、声出してみたいなぁ。。

2017年4月6日木曜日

変わらずに。


こんばんは。

御無沙汰ぶりの投稿ですね。

パニック障害のほうは、近頃、女性専用車両に乗って通勤しているので、お陰でここ二ヶ月程起こっていないかな?

けれど、まだまだ、男性もいる満員の電車には、乗られる自信は無く。


いつか挑戦してみないと、克服出来ないのでしょうか?


**

話変わって、昨日は上野公園へ、夜桜を観に行きました。


お花見客でいっぱいの上野公園。


最初は普通に、『桜たくさん咲いているなぁ~』と綺麗な桜の木を眺めていたのですが、徐々に“人が多い”というほうに、意識がいくようになり。


まわりの人の声が、敏感に聞こえるように感じてしまって。

そうなると、段々と落ち着かなくなり、自分の視線だとか、歩き方だとか、手の力の入り具合だとか、不自然になってしまいました。

脈の乱れ。



**

また話は変わりますが、今日は、今月予定している自分のライブのリハーサルを、鍵盤サポートしてくださるかたと、行っていました。


声の調子は、以前から変わらず、全く良くなっていません(..)


ここ何日間かは、練習で歌っている=声を出しているということもあってか、より苦しいです。


一曲を歌う、一番、いやワンフレーズ歌うだけでも苦しいですね。


首を締め付けられながら、歌っている感覚です。


楽な出しかたを探しながら、声を出しているのですが、苦しい声しか出てこなくて、一瞬、楽な感覚を掴んだとしても、それは本当に一瞬の出来事で、新たな言葉を発しようとすると、すぐに駄目になってしまう。
キープが出来ない。



苦しいのはもはや、当たり前なので、今日はそのなかでも、誰かと一緒に合わせているという“楽しさ”を、感じながら時間を過ごすことが、出来たかな?


声が出ない、苦しいことに凹むことは、あまりなくなりました。

それが当たり前と、なってしまったから。


悲しいことなのですが。



いっこうに変化も見せず、良くならない自分の声、あとどのくらい、付き合っていかなければならないのかなぁ。

もう、ずっと、このままなのかなぁ。



私の昔の声、どこへいってしまったのだろう。


私は、どんな声をして、どんな話しかたをしていたのだっけ?



忘れてしまった、悲しいなぁ。


**


上の写真は、今日、お家への帰り道に見つけたもの。


春ですね。

チューリップが好きです。


ほっこり出来るものたち、大切にしてゆきたいな。

2017年3月7日火曜日

指圧。

こんばんは。

この間、お仕事終わりに、指圧ルームへと行ってきました。

前々から、マッサージや整体など気になってはいたのですが、あまり機会がなく。


以前、岩盤浴がとても良かった場所があったのですが、同じところで、指圧やアロママッサージなどのコースもやっていたことを思い出し、たまたまこの間のお仕事現場が、そこの岩盤浴の駅だったので、思い立って行ってみました!


40分のマッサージコース。

普段、声の出づらさや過緊張からの、“肩”や“首”の凝りをとても感じていたので、その辺りを重点的に。

マッサージのかたが、私の首回りを触るや否や、『緊張されていますね~。』と。


ハッとさせられました!


すぐに、わたしの一番の弱点を当てられたことに。


『呼吸も浅いですね。』と言われました。

そこは、“そうなんだ~。”と思わされ。


とても上手なかたで、痛いところをじっくりと観察しながら、攻めて、そしてほぐして流す。


最初は確かに、無駄に緊張しながら、施術してもらっていたのですが、40分後には、とてもスッキリした気分と身体でいる自分がいました。


こういうところ、通ってみてもいいのかなって。

むしろ、通いたいなって。



普段の緊張が、精神的な面からだけでなく、マッサージなどでも、じわりじわりと、ほぐれていくといいですね(^-^)

2017年2月21日火曜日

“受け入れる”こと。





こんばんは。


最近、本を読んでいます。

『パニック障害』の本は、同じ職場のかたが貸してくださった本。

対処法やアドバイス、症状、体験談など、分かりやすく書いてあり、「なるほど。」と思ったり、共感することがとても多い。

『嫌われる勇気』は、この間、父からもらったもの。

父もこの本を読んだみたいで、読みやすいのと、感じるものも多くあったみたいで、私にもおすすめしてくれました。

確か、小林麻耶さんが、この本にとても影響を受け、『何十回も読み返した!』というのを、以前、テレビの番組で見たことがあり、少し気になっていました。

今は、香里奈さん主演で、ドラマでも放送されていますね(^^)

主題歌をやっている大塚愛ちゃんが好きなので、ドラマは初回から毎回、観ているのと、本は1/4くらいのところまで、読みました。

なんだか、「影響を受ける」と言われていること、確かに分かる気がします。


**
タイトルに付けた、“受け入れる”こと。


最近、この言葉に出会うことが多い、かな。


本にも出てきたり、この前出演したライブで、同じ症状をもったかたとお話させてもらう機会もあって、そのときもその言葉が出てきて。



何かの“暗示”な気もします。


ここ最近、何かの言葉に引っ掛かる、だとか、誰かによく遭遇する、だとか、何ていうのでしたっけ、“シンクロ”?


**


自分のネガティブな部分、起こっている障害や病気、後悔や嘆くよりも、“受け入れ”て、どう対処、展開させてゆくか、というところでしょうか。


心が、ひとつ大きく、育ってくれるよきタイミングが訪れてくれたのかも、しれません。


しっかりと迎えて越えて、成長させてゆきたいですね(*^^*)


せっかくの人生、少しでも明るく、楽しく過ごしてゆかないと。

2017年2月17日金曜日

カウンセリング三日目。~“安心”を知ること。

こんばんは。

本日はカウンセリング三日目。


今日はまず、前回のカウンセリングから一ヶ月経ちましたが、その間にパニック障害にあわなかったことをお伝えし。

そして、『なぜ、話す言葉を選んでしまうのか。』、『なぜ、大きな音や乱暴な言葉などが苦手なのか。』の“なぜ”の部分に、少し焦点を当てて考えてみるカウンセリングでした。


それと、『自分が“安心”出来る場所は、どこなのか。』


“なぜ”の部分は、恐らく、自分が育ってきたなかで、無意識に塞いでしまったトコロにあるのでしょう。


『“安心”出来る場所』というのは、《一人》でいるとき以外は私にとってはほぼ皆無で、日常的に周りに怯えて、何かにとらわれながら息をして生きているので、そういう世界でも、“自分には何も悪いことは起こらない”と、認識させることが大切みたいです。


頭で理解して、認識をしていても、心が“そうではない。”と、遠く〔離れてしまっている〕のが、今の私の現状。


《頭》と《心》がおおきく、離れている。


徐々に慣れさせて、近づかせてゆかないと。


近づかせるというより、元からある定位置へと。もどす。



**


私にとっての《なぜ》の部分に触れた今回のカウンセリングでしたが、カウンセラーの先生が、私に抱いているひとつ大きな《なぜ》が、あって。

声が出ない、人が苦手、人前が苦手、見られることがいや、な私が《なぜ》“音楽”をやっているか。



確かに、言われてみると、私にとっての“いや”要素満載のものに、あえて携わっている感じですよね(^^)笑


もちろん、上手くいかないことが多かったり、ステージでも怯えたり、心臓が飛び出しそうになりながらも懲りずにライブを続けている。



「音楽が好き!」

「プロになりたい!」


そう、強い想いがあるわけでもなく、いつしか音楽をやるようになり、いつしか音楽に楽しませてもらったり、救われる自分もいたり、いつしか音楽に自分を表現してみたり。


唯一、落ち込むだけ、負けるだけの場所でないのが、《音楽》だからなのでしょうか。


しっかりと闘って、何度も何度も向かってゆける場所。



そしてもうひとつ、きっとここも大切なのだろうなと思うのは、“わたしを認めてくれる人がいること”。




自分をしっかりと越える為、そして大きく励ましてくれる為に、神様が与えてくれた、“試練と支え”なのではないかと、今日、カウンセリングを終えてふと、考えました。



ツンとデレですね!







言い方があれですか(^^)笑


飴とムチのほうが、しっくりきますかね?

2017年2月2日木曜日

覚えること。動作すること。


こんばんは。

今日はお仕事での出来事を、久々に。

**

ここ最近、作業をするうえでのルーティーンでやっていた役割が、変わりました。


普段、他のかたの動きを目にしていたので、自分でも出来るかと思いきや、いざ自分でやってみると、全く違う動きをしてしまいました。


「違う違う。ここはこうだよ。」と、丁寧にひとつひとつ教えてくれる仲間のかたがたには感謝で、けれど、『説明を受けること』が“苦手”なわたしは、説明を受けながら動きにおこすことが、あまりスムーズにいきません。

“ながら”作業が昔から、苦手なのです。
(最近、そのことに気が付きました。)

二つのことを、一度に同時に出来ない、というか。

二ついっぺんにやろうとすると、頭がパニックを起こす感覚があります。


なんだか、余裕がなくなって、いっぱいいっぱいになってしまうのですよね。。


お仕事でも、説明(言葉)を聞いて、頭でしっかり理解をする前に体で動いてしまうと、理解出来ていない分、動けなくて。


そんなわたしの行動に、イライラさせてしまっていないか、呆れられてしまっていないか、相手の感情や表情を気にしてしまう。。


それに怯え、動きもうまくいかなく、結果、だめだめな感じになってしまいます。

そうして、落ち込む、のパターン。


落ち込んだら落ち込んだで、心のなかだけで収めればよいものの、いかにも“落ちています”という空気を放ってしまう。

本当に気分が落ち込んでしまっているのと、あとはもしかしたら、心配をしてもらいたいのかなって。

そんな考えのよぎりも。


けれど、それは単なるわたしのわがままだと気づいたときには、そのような考えを抱いたり、そういう空気を出してしまう自分に憤りが出てきて。



仕事に集中、作業に集中。

自分は意思のない空っぽの、ただ動くだけの“人形”だって。


そうでも思わないと、あまりの《不安定》な心の状態で、自分がどういたらいいのか分からなくなってしまいます。


**

“ながら”が出来ないのと、あともう一つ。

《記憶力》がないなと、ここ最近、強く思いました。


せっかく説明をしてもらっているのに、頭で理解するまで時間がかかってしまうのと、完全に説明を理解して自分のものにしないと、行動に自信がもてないのと、何度も繰り返さないとその作業を覚えられない。


このあたりは、パニック障害ではなく、アスペルガー症候群のほうに、近いのでしょうか?


向きや位置などが、覚えていたことと少しでも違ってくるとなると、頭のなかでパニックを起こし、全く分からない状態になってしまうのです。。


厄介ですね。


この“厄介”が、わたしと関わるかたにも思われてしまうのだということの、申し訳なさと恐怖感。


***

写真の鬼は、今日から2月ということで、‘節分’の鬼。


スーパーで豆まき用のお豆を買ったところ、お面もお持ち帰りようで置いてあったので、もらって帰ってきました!

今日の朝、お仕事場の倉庫に飾ってみたりして笑

季節ものだし、いいかな?と思ったのですが、それを見たお仲間さんがたに、「いやいやいや(^^)」と、笑われてしまって。

それが、面白半分で笑っていたのか、本気の意味での「いやいやいや」だったのか、瞬時に後者の意味で捉えてしまったわたしは、すぐに落ち込んでしまいました。
(あまり、表には落ち込んでいる表情を出さなかったけれど。)



よいかな、喜んだり楽しんでもらえるかなと思ったけれど、そうではなかったのかな。



難しいな。



だから、人に対して行動をおこすことに、臆病になり、億劫になり、次第に止めていったのでしょう。。



自分が、“考え過ぎ”なだけなことも、あるのだろうけれど。


、、難しいな。。

2017年2月1日水曜日

ボイトレにて♪



こんばんは。

今日はボイトレでした。

お久しぶりに〈発声練習〉をしました。


息を吐くのは申し分ないとのことでしたが、ハミングや声を発するとなるとやはり、詰まりやヨレが。

スタッカートの瞬時のみの声だしでは上手に声が出てきても、その音を伸ばすとなると、すぐにダメな音に。


《過緊張性発声障害》の影響が、もろに出ているかなと思います。

声を出すことに対しての〈恐怖心〉のようなものと、〈拒絶感〉がいつの間にか、無意識に頭のなかに根付いているのかな、と。


「こうやって音を出したい」、「ここに声を乗せたい」と頭ではわかっているのに、そう出来ない、そう、させてもらえないと言ったほうが正しいくらい、身体が勝手に反応をして、声を出そうとすると、喉を締め付けてしまいます。



分かっているのに“出来ない”、ということが、悔しいですね。

「頑張って」、どうにも出来ないこと。



一体どうすれば、なおるのか、、


***


それでも、ピアノでの弾き語りを先生に聴いてもらったとき、よい反応をいただけたことが嬉しかったので、大きくヨシです(^^)v


大きな鏡の前、見られながらの演奏、頑張りました!



ピアノのタッチ感、音の聴こえかた、広がりかた、声の聴こえたかた、マイクの位置、部屋の照明の暗さ、自分にとっての割りと“ベスト”な状態が、結構よかったのかもしれません。

どこかひとつでも「やりにくいな。」と感じてしまったら、それは私にとってもう大きな“マイナス”の出来事&要素となってしまうので。


常に、ベストがいい。


そのような状態、なかなかあり得ないけれど。難しいけれど。





音楽をやっていると、音楽だけでなく、自身と真正面から向き合っている感じがします。


常に闘っている。


長い間、こてんぱんにやられてきたのだから、そろそろ反撃、してみたいな。


なんて(^^)♪


自身(自信)の種、開かせられるよう、頑張ります。

2017年1月20日金曜日

カウンセリング二日目&“ナイショ話”路線。

こんにちは。

昨日は、二回目の心療内科でのカウンセリング日でした。

まず、カウンセリングの前に診察。

声が変わらずあまり出ないことに関して、「“ナイショ話”路線でいってみましょう(^^)」と。


“声を発さなくてはならない”と、頑張って言葉を発している可能性があるので、「自分の伝わってもらいたい人に"だけ"、伝わればいい。」というスタンスでの、声の音量でよい、と。


なるほど、と思ってしまいました。

「コソコソ話を話すように、喋ってみる。」


これから声を小さく発してみるコト、意識してみます!


**

カウンセリングでは。


まず、お正月明けの通勤電車にて、パニックになったことを担当カウンセラーさんに、お話しました。

“不安要素”がパニックを引き起こしてしまうので、不安を取り除くこと。


“不安”と“安心”は必ず対になっているので、“安心”できる自分の感覚を覚えていくことが大切。


『パニック以上にはならない!』という考えをしっかり持たせることが大事だそうです。

パニックになる前~パニック自体がとても厳しいものなので、その先の安心感のことを考える余裕はほとんどないのですが、何とか安心感、自分の心に植えつけたいですね。


「人に迷惑をかけてしまうことに対しての“恐怖”が一番、大きいのかもしれないですね。」と、カウンセラーさんがおっしゃっていました。

「もっと自分の《好き》なところを見つけて、自分を好きになる、そして、自分を信頼してみて下さい。」


**
「人に触れられたくない→満員電車、圧迫感を感じパニックになってしまう、のかもしれない。」と言ってみたところ、


《対》なので、カウンセラーのかたに「人に触れられたいのでしょうね。」とすぐに言葉を返してもらったとき、思わず涙がこぼれました。

あまりに急に込み上げてきたので自分でもびっくりですが、そういうこと、なのでしょうね。



記憶のない昔の幼き自分ではありますが、その自分を“今の自分”がきっと、一番に大きく包んであげられる。

そこは確実に、自信がある。



大丈夫、過去からの嘆きがぽろぽろっと訪れてきているけれど、しっかり私、成長しているよ。


そう考えると、今後の自分も、楽しみなのかもしれません。

2017年1月12日木曜日

女性専用車両。

こんにちは。

昨日、朝の通勤のときに、女性専用車両に乗ってみました。

というのも、前日に軽い痴漢みたいなものに遭い(笑)、『女性専用車両に乗ってみれば?』とお仕事先や彼からアドバイス頂いて(^^)

少し乗り替えに不便な号車にはなってしまいますが、痴漢対策、そして、“パニック障害対策”にもなるなと思いました。


普段、満員電車のなか、まわりのひととの距離が密接になってしまい、息苦しく感じ、パニックになってしまう傾向があるのですが、女性専用車両ですと、わたしは身長が高めなので、人との距離は近いのですが、目の前に空間があり、息を吸うのと吐くの、そこまで気にしないで自然と出来たので、それが大きな違いとなり、利点でした。


これはいい対策かもしれないと、思いました。


なるべく時間に余裕を持たせて、女性専用車両、使ってみたいと思います。


パニックの頻度、減ってくるといいなぁ。

2017年1月5日木曜日

新年初日から。

こんばんは。

2017年、明けましておめでとうございます。

今日からお仕事始めでした。

初日から早速、パニック症状でした。

朝の電車、満員電車。



それまで普通の状態で何ともなかったのに、『人が増え始めたな。。』と思ってしまってからは、もう確実と言っていいほど、パニック状態になってしまう。


今日も辛かったです。

急変するの、本当にやめてもらいたいです。

電車に乗っているほんの一駅区間でも、地獄のようです。

動悸、緊張状態から始まり、冷や汗、息苦しさ、お腹の緩み、気持ち悪さ、意識の遠退き、、


現実世界にいる自分といっぽんの線(意識)で繋がっていることに、本当いっぱいいっぱい。



「あ、だめかも。」と思ってから、ほんの数分で、全ての症状、そしてピークをむかえます。



辛すぎる。

この状態が、人でぎゅうぎゅうのときに起きるので、更に辛すぎます。


って、満員だからこそ、パニック状態が起こってしまうのだけれど。



こんな思い、人生のうちで一、二回ほどでいいよ。。


月一くらいで起こってしまうの、本当、身がもたないです。。


新年明けて一発目のお仕事の通勤で、パニック起きてしまったので、2017年、まだまだ先が思いやらされます。。



早く、堂々と電車乗れるようになりたいです。(;_;)