2017年8月22日火曜日

初めて感じたキャパオーバー。




こんばんは。

この間、ライブで共演した音楽仲間のかたと、神楽坂でご飯してきました。

積もる話もあり、4時間くらいお喋りしていました。

(わたしはどちらかというと、話すよりも聞くほうが多いかもしれません。)

音楽のこと、お仕事のこと、そして、障害のこと。

音楽活動しているSNSのほうのプロフィールなどに記してある“発声障害”を気にして、お話聞いてくれました。

音楽仲間のかたも、昔経験した、ご自身の不調のことを話してくださり、気持ちのゆとりの面で、やはり身体は悲鳴をあげてしまうものだなと、改めて知ることが出来ました。

そして、それぞれに、悩みや不調など、あるものなのだな、と。


そんなことも感じつつ、盛り上がる話もしたりして、そろそろ帰る時間かなというところで、急に声がガサガサガサ。!

驚。


「あれ?」と、感じてしまうくらい、明らかな変化。

それまでも、確かに声は苦しかったり、かさついてはいましたが、それは普段通りの出づらい声。


それが更に一段、いや、二段くらいもパワーアップしたかのような、掠れ具合。

ここまで出なくなってしまったことは、今までになかったので、自分でもとても、驚いてしまいました。

(音楽仲間のかたは、特に、気になっていなかったようです。)



恐らく、話す量が多かったことと、声を少し張って、話をしてしまったことが大きな原因かな、と思います。

それと、周りに人がいたので、“人の存在”を常に感じながら、食事の時間を過ごしていたことと、“お友だちとご飯”という、やや特別な出来事ということに、少し緊張してしまったのかな、と。


何度か、会話中、周りの人の声が妙に耳に入り込んできて、会話に集中出来ないときがありました。


音がたくさん頭のなかに入ってきて、下手したらパニック起こしてしまうくらいの感覚。

必死に、周りをシャットダウンして、会話に戻ろうとするけれど、それまで、1、2分くらいはかかるのかな。


恐らく、周りの音が気になってしまうから、余計に自分の声も、張り上げてしまうのでしょうね。


自分の声の限度を、越えてしまうというか。


楽しい時間ではあるけれど、緊張しながら楽しんでいるという感覚。


今回のお食事に限らず、日頃から。


自分以外の誰かがいたら、そこはもう、わたしにとっては緊張のある空間。

知っている人でも、知らない人でも、親しい人でも、家族でも。


どうしたらもっと、楽な気持ちでいられるのでしょうか。


どうしてこんなにも、周りを気にしてしまうのでしょうか。



それでも、「楽しい」と感じられたこの日は、自分にとって良かった日なのではないかと思います。


今まで感じてきたキャパオーバーを、更に越えてしまうことがある&越えてしまうと、こんな声になる、ということをシュウトク(←この漢字、いつも迷うのです。)した大切な日でも、ありました。


**


P.S.写真は、神楽坂にある赤城神社。

「磐筒雄命」(いわつつおのみこと)さま。

厄難消除、学問芸術の神さまだそうで。

どうぞ、今のわたしを、宜しくお願い致します。


自分で変えてゆくばかりは、とてもパワーがいるもの。

時には涙流して、強く激しく、すがりたくもなります。



そういう自分と、向き合うタイミングも、恐らく大切なのでしょうね。

2017年8月21日月曜日

耳鼻咽喉科。

こんばんは。

今日は、お仕事帰りに耳鼻咽喉科に行ってきました。


喉、筋肉、呼吸器、血液に異常などないか、気になっている部分の、まずは一つから。

喉に関しては、以前、ボイスクリニックに通うことになった初回の診察のときにも、調べてもらっていました。

念のため、声が出づらくなって二年経った今も、変わりがないか、ということで、ボイスクリニックとは別の、今度は耳鼻咽喉科で。


鼻からカメラ付きの管を通して、声帯など異常がないか、みてもらいました。
(鼻から長い管を入れる、これがなかなか、嫌な感触で。。)

正常、とのことでした。

ひとまず、喉に関しては安心ですね。


次はそうしたら、呼吸器でしょうか?



結果、精神面がいちばん大きいのかと思いますが、不安な要素は、取り除いてから、ですね。

2017年8月6日日曜日

花火大会と、久しぶりのパニック発作。


こんにちは。

更新、だいぶご無沙汰してしまいました。

それほど、しばらくはパニック状態になっていなかったのも事実。

けれど、昨日久しぶりにパニック、起きてしまいました。

*ーー

花火大会を、観に行っていました。

会場にて花火を楽しみ、いざ、帰ろうと、立ち上がり出口へと。

出口へと向かう、人の群れ。

“人が多いな。”

そう思っていると、自然とそちらばかりに意識が向かってしまい、周囲を見渡せば人人人。

“まさかここで、パニックなんて。”

安易に考えていたら、急に緊張してきてしまい。

後ろを見ても、出口に向かう人だらけ。 

空間がない。

もう元には戻れない、この場所から抜け出せられない、という状況に、大きな不安と恐怖を抱いてしまいました。



花火の会場で、お酒も少し飲んでいました。

やや満腹にも、なっていました。

浴衣も着て、お腹が少し、締め付けられていました。

わたしがパニックになりやすい要素が、揃っていたということもあってか、人混みのなか、心拍数は上がり、ふらつき、冷や汗、吐き気、意識の遠のき、5分もしないうちに、立っていられない状況(ピーク達成)になりました。


このまま立っていても気を失うだけなので、人が押し合うくらいの人混みでしたが、しゃがみこみました。 

立っているより、しゃがみこむ体勢のほうが、だいぶましです。


人の目を気にする余裕もありません。

出口へと向かう人の群れのなか、少しずつですが、人の流れはありました。

そうしたなか、しゃがみこむのはとても邪魔な存在だとは分かっているけれど、倒れるよりは、、と。


意識が半分くらい飛んでいるなかで、どうすべきか判断することは、とても困難なことです。


あと10歩くらいというところに、目の前に出口は見えていても、その10歩が果てしなく遠い場所のように、感じます。

電車でパニックが起きるときも、一緒。

たったの一駅すらも、我慢できない。


「大丈夫だよ。あと少しだから。」と言われていても、決して大丈夫ではない状態のときに、その言葉は辛く、感じてしまいます。


「ここでしゃがみこんじゃったら、迷惑だから。」


分かっている、全部、分かりきっている言葉です。


だからこそ、不安と発作を待避できない自分が、悔しくて、とても悲しくなります。


何度だって、あの生きた心地のしない、ほんの5分でも10分でもの時間はご免だと、思い、願ったことでしょうか。


花火会場、帰り道、しゃがみこむ=酔っぱらって潰れている女の子。


そう、思われているのかなぁと、一般的には。


パニック抱えている人の状況や存在も、わたしのことを知ってもらいたいということではなく、少しでも、こういう不安を日常的に抱えている人がいる、と認知してもらえると嬉しいのかな、と思います。



しゃがみこんでいるなか、「大丈夫?あちらのスタッフさんに、道通してもらえば??」と、横にいらした女性のかたが、心配して声をかけてくださいました。


ありがたいです、本当に泣きたくなってしまうくらい、温かみを感じてしまいます。


*ーー


まだまだ、パニックは治っていないですね。


今はどこにも通院していないので、また、病院探すべきでしょうかね。


ひとまず、今度、喉のほうも調べてもらいたいので、耳鼻咽喉科に行ってみようかなと、考えているところです。


喉に関しては、呼吸器科、筋肉や血管、どこを調べてもらえば良いのか分からなくなっていますが、一つ一つ、気になっているところ、おさえていってみようかなぁ、と。


今月は、会社の健康診断もあるので、そちらも、問題ないといいですね。


精神科、心療内科系は調べてもらうとしたら、身体の異常がないと分かって(安心して)からの、一番最後かしら。


*ーー


不安なしに、安心して楽しく、生活してゆきたいものです。