2017年8月6日日曜日

花火大会と、久しぶりのパニック発作。


こんにちは。

更新、だいぶご無沙汰してしまいました。

それほど、しばらくはパニック状態になっていなかったのも事実。

けれど、昨日久しぶりにパニック、起きてしまいました。

*ーー

花火大会を、観に行っていました。

会場にて花火を楽しみ、いざ、帰ろうと、立ち上がり出口へと。

出口へと向かう、人の群れ。

“人が多いな。”

そう思っていると、自然とそちらばかりに意識が向かってしまい、周囲を見渡せば人人人。

“まさかここで、パニックなんて。”

安易に考えていたら、急に緊張してきてしまい。

後ろを見ても、出口に向かう人だらけ。 

空間がない。

もう元には戻れない、この場所から抜け出せられない、という状況に、大きな不安と恐怖を抱いてしまいました。



花火の会場で、お酒も少し飲んでいました。

やや満腹にも、なっていました。

浴衣も着て、お腹が少し、締め付けられていました。

わたしがパニックになりやすい要素が、揃っていたということもあってか、人混みのなか、心拍数は上がり、ふらつき、冷や汗、吐き気、意識の遠のき、5分もしないうちに、立っていられない状況(ピーク達成)になりました。


このまま立っていても気を失うだけなので、人が押し合うくらいの人混みでしたが、しゃがみこみました。 

立っているより、しゃがみこむ体勢のほうが、だいぶましです。


人の目を気にする余裕もありません。

出口へと向かう人の群れのなか、少しずつですが、人の流れはありました。

そうしたなか、しゃがみこむのはとても邪魔な存在だとは分かっているけれど、倒れるよりは、、と。


意識が半分くらい飛んでいるなかで、どうすべきか判断することは、とても困難なことです。


あと10歩くらいというところに、目の前に出口は見えていても、その10歩が果てしなく遠い場所のように、感じます。

電車でパニックが起きるときも、一緒。

たったの一駅すらも、我慢できない。


「大丈夫だよ。あと少しだから。」と言われていても、決して大丈夫ではない状態のときに、その言葉は辛く、感じてしまいます。


「ここでしゃがみこんじゃったら、迷惑だから。」


分かっている、全部、分かりきっている言葉です。


だからこそ、不安と発作を待避できない自分が、悔しくて、とても悲しくなります。


何度だって、あの生きた心地のしない、ほんの5分でも10分でもの時間はご免だと、思い、願ったことでしょうか。


花火会場、帰り道、しゃがみこむ=酔っぱらって潰れている女の子。


そう、思われているのかなぁと、一般的には。


パニック抱えている人の状況や存在も、わたしのことを知ってもらいたいということではなく、少しでも、こういう不安を日常的に抱えている人がいる、と認知してもらえると嬉しいのかな、と思います。



しゃがみこんでいるなか、「大丈夫?あちらのスタッフさんに、道通してもらえば??」と、横にいらした女性のかたが、心配して声をかけてくださいました。


ありがたいです、本当に泣きたくなってしまうくらい、温かみを感じてしまいます。


*ーー


まだまだ、パニックは治っていないですね。


今はどこにも通院していないので、また、病院探すべきでしょうかね。


ひとまず、今度、喉のほうも調べてもらいたいので、耳鼻咽喉科に行ってみようかなと、考えているところです。


喉に関しては、呼吸器科、筋肉や血管、どこを調べてもらえば良いのか分からなくなっていますが、一つ一つ、気になっているところ、おさえていってみようかなぁ、と。


今月は、会社の健康診断もあるので、そちらも、問題ないといいですね。


精神科、心療内科系は調べてもらうとしたら、身体の異常がないと分かって(安心して)からの、一番最後かしら。


*ーー


不安なしに、安心して楽しく、生活してゆきたいものです。

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