こんにちは。
更新、だいぶご無沙汰してしまいました。
それほど、しばらくはパニック状態になっていなかったのも事実。
けれど、昨日久しぶりにパニック、起きてしまいました。
*ーー
花火大会を、観に行っていました。
会場にて花火を楽しみ、いざ、帰ろうと、立ち上がり出口へと。
出口へと向かう、人の群れ。
“人が多いな。”
そう思っていると、自然とそちらばかりに意識が向かってしまい、周囲を見渡せば人人人。
“まさかここで、パニックなんて。”
安易に考えていたら、急に緊張してきてしまい。
後ろを見ても、出口に向かう人だらけ。
空間がない。
もう元には戻れない、この場所から抜け出せられない、という状況に、大きな不安と恐怖を抱いてしまいました。
花火の会場で、お酒も少し飲んでいました。
やや満腹にも、なっていました。
浴衣も着て、お腹が少し、締め付けられていました。
わたしがパニックになりやすい要素が、揃っていたということもあってか、人混みのなか、心拍数は上がり、ふらつき、冷や汗、吐き気、意識の遠のき、5分もしないうちに、立っていられない状況(ピーク達成)になりました。
このまま立っていても気を失うだけなので、人が押し合うくらいの人混みでしたが、しゃがみこみました。
立っているより、しゃがみこむ体勢のほうが、だいぶましです。
人の目を気にする余裕もありません。
出口へと向かう人の群れのなか、少しずつですが、人の流れはありました。
そうしたなか、しゃがみこむのはとても邪魔な存在だとは分かっているけれど、倒れるよりは、、と。
意識が半分くらい飛んでいるなかで、どうすべきか判断することは、とても困難なことです。
あと10歩くらいというところに、目の前に出口は見えていても、その10歩が果てしなく遠い場所のように、感じます。
電車でパニックが起きるときも、一緒。
たったの一駅すらも、我慢できない。
「大丈夫だよ。あと少しだから。」と言われていても、決して大丈夫ではない状態のときに、その言葉は辛く、感じてしまいます。
「ここでしゃがみこんじゃったら、迷惑だから。」
分かっている、全部、分かりきっている言葉です。
だからこそ、不安と発作を待避できない自分が、悔しくて、とても悲しくなります。
何度だって、あの生きた心地のしない、ほんの5分でも10分でもの時間はご免だと、思い、願ったことでしょうか。
花火会場、帰り道、しゃがみこむ=酔っぱらって潰れている女の子。
そう、思われているのかなぁと、一般的には。
パニック抱えている人の状況や存在も、わたしのことを知ってもらいたいということではなく、少しでも、こういう不安を日常的に抱えている人がいる、と認知してもらえると嬉しいのかな、と思います。
しゃがみこんでいるなか、「大丈夫?あちらのスタッフさんに、道通してもらえば??」と、横にいらした女性のかたが、心配して声をかけてくださいました。
ありがたいです、本当に泣きたくなってしまうくらい、温かみを感じてしまいます。
*ーー
まだまだ、パニックは治っていないですね。
今はどこにも通院していないので、また、病院探すべきでしょうかね。
ひとまず、今度、喉のほうも調べてもらいたいので、耳鼻咽喉科に行ってみようかなと、考えているところです。
喉に関しては、呼吸器科、筋肉や血管、どこを調べてもらえば良いのか分からなくなっていますが、一つ一つ、気になっているところ、おさえていってみようかなぁ、と。
今月は、会社の健康診断もあるので、そちらも、問題ないといいですね。
精神科、心療内科系は調べてもらうとしたら、身体の異常がないと分かって(安心して)からの、一番最後かしら。
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不安なしに、安心して楽しく、生活してゆきたいものです。
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