こんばんは。
本日はカウンセリング三日目。
今日はまず、前回のカウンセリングから一ヶ月経ちましたが、その間にパニック障害にあわなかったことをお伝えし。
そして、『なぜ、話す言葉を選んでしまうのか。』、『なぜ、大きな音や乱暴な言葉などが苦手なのか。』の“なぜ”の部分に、少し焦点を当てて考えてみるカウンセリングでした。
それと、『自分が“安心”出来る場所は、どこなのか。』
“なぜ”の部分は、恐らく、自分が育ってきたなかで、無意識に塞いでしまったトコロにあるのでしょう。
『“安心”出来る場所』というのは、《一人》でいるとき以外は私にとってはほぼ皆無で、日常的に周りに怯えて、何かにとらわれながら息をして生きているので、そういう世界でも、“自分には何も悪いことは起こらない”と、認識させることが大切みたいです。
頭で理解して、認識をしていても、心が“そうではない。”と、遠く〔離れてしまっている〕のが、今の私の現状。
《頭》と《心》がおおきく、離れている。
徐々に慣れさせて、近づかせてゆかないと。
近づかせるというより、元からある定位置へと。もどす。
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私にとっての《なぜ》の部分に触れた今回のカウンセリングでしたが、カウンセラーの先生が、私に抱いているひとつ大きな《なぜ》が、あって。
声が出ない、人が苦手、人前が苦手、見られることがいや、な私が《なぜ》“音楽”をやっているか。
確かに、言われてみると、私にとっての“いや”要素満載のものに、あえて携わっている感じですよね(^^)笑
もちろん、上手くいかないことが多かったり、ステージでも怯えたり、心臓が飛び出しそうになりながらも懲りずにライブを続けている。
「音楽が好き!」
「プロになりたい!」
そう、強い想いがあるわけでもなく、いつしか音楽をやるようになり、いつしか音楽に楽しませてもらったり、救われる自分もいたり、いつしか音楽に自分を表現してみたり。
唯一、落ち込むだけ、負けるだけの場所でないのが、《音楽》だからなのでしょうか。
しっかりと闘って、何度も何度も向かってゆける場所。
そしてもうひとつ、きっとここも大切なのだろうなと思うのは、“わたしを認めてくれる人がいること”。
自分をしっかりと越える為、そして大きく励ましてくれる為に、神様が与えてくれた、“試練と支え”なのではないかと、今日、カウンセリングを終えてふと、考えました。
ツンとデレですね!
笑
言い方があれですか(^^)笑
飴とムチのほうが、しっくりきますかね?
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