2016年10月19日水曜日

魔の5,6駅。

こんにちは。

今日は暖かです。

昨日もいいお天気でした。

そんな昨日の朝の通勤電車、今までで最も悲惨でした。


そのお話を。


私が乗っている電車は、元から乗車率の高い路線なのですが、この日は遅延していたということもあり、更に乗車率が増しに増していて。

初めは『すごい人だ~。』と思って乗っていたのですが、途中からあまりのギュウギュウさに、急に緊張スイッチが入ってしまったみたいで。

『あ、これはまずいかも。具合悪くなるパターンだ。』

気を失う寸前の意識のなか、けれど周りの人に押されに押され、窓に手を突っ張りながら、姿勢を保つのに必死。

具合が悪いのに、力を振り絞るなんて、最悪の状態。。


『もうこれは完全にアウトだ…。』と、あまりに耐えられそうになかったので、電車を降りようとしたのですが、あまりの満員具合に一切、身動きもとれず。。

“降りられない、、!”

そうと分かった瞬間、一気に‘恐怖度’が増し、汗も止まらず、今にも気を失ってしまうのではないかという、ギリギリの状態。

目をつむり、必死に「大丈夫大丈夫。」と心のなかで自分に言い聞かせ、それでも極度の怖さと緊張感でいっぱいで、今思えば、ほぼ意識失った状態で立っていました。

たった一本の神経や線で、《満員電車の中》という現実世界と繋がっていると言いますか、それくらいの気が遠くにいってしまっている感じ。



こうなるともう、一層意識を失ってしまうくらいのほうが、よっぽど楽です。


そう出来ないのは、周りの目や後先のことを、考えてしまうからでしょうか。



魔の5,6駅、15分ほどでした。


毎度毎度具合が悪くなるたびに、『こんなの御免だ。』と強く思うのですが、さすがに昨日の状態は、いちばん酷く、もう限界を越えてしまったなと、感じました。



喉の調子も最近少し良くなってきたかな、というところでしたが、一気にまた悪い状態に復活。

喉の強ばりが激しく、呼吸も深く出来ずに浅くなり、全身の力も入らなくなってしまったので、電車から降りてからはふらふらと歩き、“早くひとりになりたい。一人の空間に入りたい。”と願い、お仕事先に着いてからは、お仕事着に着替える余裕もなく、控えに着くや否や、すぐに私服のまましゃがみこみました。



ようやく安心、の場かなあ。



けれど、電車での出来事を思い出し、緊張状態も続いたままだったので、段々と呼吸が乱れ、過呼吸に。


普段なら、数分で落ち着くものの、この日は自分でセーブが効かなくて、20分くらい過呼吸がおさまりませんでした。


こんなに長かったの初めてです。


お仕事先のかたが控えに来られたのをきっかけに、おさまったという。

私の様子がおかしいことに驚き、そして戸惑わせてしまいました。


無理矢理なのか、知っている人という安心感なのか、“抑えよう”という意思で、過呼吸は徐々におさまりました。



そこからは、何となく本調子ではないものの、普通にお仕事して、この日いちにちを終えました。




ーーー


段々と、緊張してしまう場所やタイミングが増えてきたり、頻度が多くなってきている気がします。


このままでは自分はどうなってしまうのかと、不安な気持ちも多いですが、その不安な思いが、悪い状態を引き連れてしまっていると思うので、あまり考え過ぎず、考えプラスにプラスに進んでゆきたいです。



けれど、




さすがに昨日の状態は、自分で自分を守ること、出来なかったなぁ。


本当に、神経だとかって、周りの攻撃でブチブチっと壊されてしまうことって、あるのだろうなと思わされました。



自分が壊しているのでなく、自分の把握&理解できている範囲外の出来事&攻撃で。


ーーー


頑張って、生きてゆかないと。。

2016年10月11日火曜日

歌えました!


こんばんは。

ご無沙汰しております。

今日はボイストレーニングでした。
オリジナル曲のレコーディングでした。

レッスン前に声の出が悪かったので、「あ、今日もあまりいいテイクが録れないかな。」と思っていたところ、なんと、予想を裏切り、今までで一番良い歌い方が出来ました。

こうして歌ったら、声もいい感じに出てくれるのかな、声に表情もついて、歌にも味を出せるかな。

そんなところまで歌えたことに、ここ最近のなかで、一番の喜び。


10月終わりに久しぶりにライブをやることになったので、その時も、今日の声の出を意識して、演奏しようと思います。


***


ひとつ、レッスン内で先生に言われたことに、ハッとしたことがありまして。


「全然声が出ないなかで、これだけ歌えるんだったら、大したもんで。反対に、声がもし治って出るようになったら、今歌えているように全然歌えなくなっていたりして。」


ハッとしてしまいました。


今では“声が出ない声が出ない”

“思うように声が出せなくて苦しい辛い”


そんな負の感情ばかりで、声を出していた気がします。

けれど、そのような状況のなか、声が出ないなりに、“今出せる声”というものを、強く意識して歌っていました。


この声だから、「出しやすい」声を、「聴いてもらってもおかしくない」声を。


なのでね、



普通の声が、今まで出せていた本来の声が、《自分の声》ではあるけれど、


もの凄く意識をして、発せられる声こそ、《自分の心の声》《叫びたい声》なのではないかと。



届かないからこそ

聴いてもらい辛いからこそ


“届くように”


声を


発する




ーーー


今日の時間が、いい収穫でした。



実りの秋、ということでしょうか(^-^)



P.S.写真は、この間自分家に出したハロウィンの飾りのひとつ。

季節ものの飾り、好きなのです。
*♪”

2016年9月25日日曜日

お久しぶりです、の苦しさ。

こんばんは。

今日はお友だちとディズニー・オン・クラシック、聴きに行っていました。

毎年、このコンサートを同じお友だちと観に行くのが恒例となっていまして、今年で6年目くらいでしょうか?


こちらのブログでの更新が、少しお久しぶりとなりました。

声のこと、体調不良のことを主にのせているので、声の調子がとても悪かったり、何か強く思ったり考え事があった日には、日記を綴るようにしています。

しばらく空いていたということは、あまり声のことで深くは悩んでいなかったということ。


けれど、今日はお久しぶりに喉の調子が不調すぎましたので、こうして文章をしたためております。


お仕事の時は、今日はあまり声を出していなかったので、不調を感じる程ではなかったのですが、お仕事を終え、コンサート会場へと向かった際に、受付の方と言葉を交わす機会がありました。

その際、声を発した途端に、「あ、声が全然出ない。」、即座に感じました。


受付のかたも、少し、私の声を聞き取りづらそうにしていました。
(顔を近付けたり、耳に装着していたモニターを外していました。)

会場でお友だちと会話をしていてもやはり、誰が聞いても声が出ていないと感じるようで、「今日は喋りづらそうだね…」と。
(お友だちは、私の発声障害のこと知っています^^)


今日は久しぶりに、声を出すのがすごく苦しかったなぁ、、


絞り出して出していました。

喉の絞まりを常に感じながら。



一体、、何故なのでしょうね。


「過緊張性発声障害」、初対面の人であったり苦手な人と話をするときに緊張をして、声が出づらくなってしまう、というのならわかるのですが、私の場合、どちらかと言うと真逆なもので、親しい人、特に「喋りたい!」と思うときこそ、声が全然思うように出てくれません。


これって、緊張と関係あるのでしょうか?、、


声が出なくなって早一年。


まったく良くもならず、改善も出来ず。


心だけが不安に思ったり、頑張ろうと前向きになったり。


“気持ち”が一番に、大事ってことなのでしょうか?



『気の持ちよう』とも言いますが、一度壊れてしまった神経や構築されてしまった自分自身、気持ちだけで解決出来たらどれだけ楽かって、思ってもみてしまいます。



気持ちよりももっと大切なものって、何なのでしょうか。

2016年9月12日月曜日

レコーディングで、ふと。

こんばんは。

先程まで、ボイストレーニングの学校にて、オリジナル曲のレコーディングをしていました。

レコーディング最中、ふと思ったのですが、曲の中でうまく歌えない部分が、何度歌っても思い通りに歌えない。

一度、失敗をしたり、変な歌い方になってしまうと、次歌うときも同じようになってしまう。

『次は良く歌えるかな、失敗しないかな。』と、心配をしたり不安になってしまう。

そうして、どんどん負の底に潜り込んでゆくように、負のループから逃げ出せられない。。


そのようなこと、もしかしたら、、


『昨日、電車で具合悪くなってしまった。今日は大丈夫かな、、』の不安にとても似ている、と。

何となく、繋がりがあるように感じました。


―――


それとは別に、今日は、自分の“良い歌いかた(歌うときでの、声の出し方)”を習得したようでした。


普段言葉を口にしている以上に、自分の口から発せられる“声、音”に意識をする。


何だか、とてもいい学びだったように感じます。

今日の学びが、今後の音楽活動にも、普段のお喋りにも良く動いてくれますように。。



あ、



レコーディングもそこそこ、うまくゆきましたよ(^^)



何とか、今まで行き詰まっていたものから、大きく脱せられたようでした(^^)v


また次回も、頑張ろうと思います。♪

2016年9月7日水曜日

リハビリ4日目。そして。


こんばんは。

先週、ボイスクリニックにて、4回目のリハビリ日でした。

まず、声を出すことに関してあまり何も気にしないで声を出そうと心掛けをし、実際声を出した後に、声が出なかったことに関して悲しい思いや悔しい思いを、あまり感じなくなったことを、先生にお伝えをしたら、「それはとてもいいことだね^^」と。

「このままでいきましょう。」と。


「声が出ないことに、慣れてもきたのかもしれないね。」とも。



思えば、声が思うように出なくなって一年経ちました。


そんな声と、そんな自分と、長く付き合っているうちに、徐々に慣れてきたのかも、しれないですね。



それともう一つ、リハビリでお話してもらったことは、『自分で思っていることを口に出しきれないこと』について。


もしこの言葉を言って、「その人が傷付いてしまったらどうしよう。」「嫌な気分にさせてしまったらどうしよう。」
相手の反応を見て、「自分が傷付いたらどうしよう。」


それだったら、「言わずに自分のなかで、溜め込んでゆけばいいや。」


そんな日々の溜め込みから、もしかしたら喉の詰まりも生まれてきているのかも、しれません。


「相手がどう思うか、決めてしまっているのは全部“自分”だよ。」と、先生に言われました。

「言いたいことをあなたが言ったとしても、その人にとっては、特に何とも思わないことかもしれない。」


「物事の見方は何パターンもあるからね。」と。



確かに、そうかもしれないです。

自分が、『きっとこうだろう、こう思うだろう。』と決めつけをしてしまって、今まではその先(言葉を口にするこも)まで進めなかった。

その先の結果は、伝えてみないとどんな反応が返ってくるか分からない。


もし、言葉を伝えて相手に不快感を与えてしまっても、「やはり、そうだった。」という《結果》が分かる。


《結果》が分かる、ということが、少なからず、自分の憶測だけで行動を抑制してしまうことよりも、「行動の幅が広がる、視点が広がる」ということでした。


なので、少しずつでも、“思っていることを口にしてみること。”


これが、次のリハビリの新しい《ステップ》です。



ここに関しては、今まで培ってきた自分を壊してゆく作業のようなものなので、なかなか変えてゆくことは簡単にはいかなそうですが、良き方向へと向かわせてゆくためにも、頑張ってゆきたいですね。



―――


話はそれますが、一昨日の朝、再び電車のなかで具合が悪くなりました。


朝起きたときから、少し調子がおかしいかなと思っていましたが、その調子に引っ張られないよう、意識をそらそうと心掛けましたが、駄目でした。


満員電車のなか、立っていられなくなり、しゃがみこんでしまいました。

意識がなくなって、倒れるよりは良いだろうと。


周囲のひとは、私の様子など気にもせずに立ったままでした。


“冷たいな。”なんて、そんな周囲の態度に打ちのめされ。



具合の悪くなるときは、立っているよりも座っているよりも、膝を抱えるようにうずくまっているのが、一番楽な姿勢。


たった一駅も我慢できずしゃがみ込みましたが、お陰で、数分かけて、少しは落ち着きました。


めまい、胸の不快感、喉の息苦しさ、発汗、大きな不安。


何度も何度も、電車のなかや外出先で具合の悪くなるたびに、こんな辛い思いはもう二度と嫌だと、強く願うのですが、どうやら近くは、叶うことないみたいです。


ここ一、二年、悪化してゆくばかりの気がします。


お知り合いのかたから、アドバイスいただいて、具合が悪くなったときは“呼吸”に集中をしようと、何度も心がけをしてみても、あまりに自分のことをコントロール出来ずになってしまっていて、まったく上手に呼吸が出来ず、具合が100%の確率で悪くなってしまう自分には、本当嫌気がさします。


一昨日は、電車のあとも遅れてはならないと必死にお仕事場へと向かい、お仕事をしていましたが、気持ちが全然落ち着かず、吐き気や呼吸の乱れ、息苦しさがずっと苦しく続いていて、午前中、まるで、自分が自分でないようでした。

あまりに、この地に立っていることに必死でした。


電車で具合が悪くなったとしても、大体はお仕事場着いてしまえば、あとは段々と落ち着いて回復してゆくことが当たり前でしたが、今回はそうならずにいて、「どうしたのだろう。」と大きく疑問を抱きました。


単に体調が悪すぎたためか、具合の悪くなることに関して、悪化の状態が増してきてしまっているのか。。


リハビリ日のときに、『この間、北海道に旅行へ出掛ける際、何度も移動中に具合を悪くし、これまでにも電車などで倒れそうになっている。』、ということを先生に相談してみたところ、
“パニック障害”のようなものもあるのかもしれないね、と。


声のことも、「少なからず、関係しているかもしれないね。」と、おっしゃっていました。

私も、そんな気がします。



「良かったら、提携している《心療内科》も紹介出来るから。」とのこと、まさにその何日かあとに、今回のように電車で具合が悪くなってしまい、自分自身のコントロールが段々と効かなくなっているのではないかと不安に思ったので、今度、“紹介状”を出してもらおうかなと思います。


さすがに、このままでは本当に、人のいるなかでは生活出来なくなってしまうと、大きな不安にかられました。



なかなか、難しいものですね。

人のいるなかで、生活してゆくこと。


――――

自分と上手く、関わってゆくこと。

2016年8月26日金曜日

見たものそのまま。


こんばんは。

北海道最終日の今日、外は少し雨模様。

ようやく“北海道”と感じられるような涼しさを肌に感じ、シンとしたその空気のなぞりが、とても心地よい。


外にお出かけ、お花たちを見た。



生きる姿、







流れる姿、







枯れの交じる姿、






下を向く姿、






沈む姿、




どんな姿もなんだか、素晴らしく美しいなと思った。



どの姿であれ、見てくれる人がいれば、それで良いのではないか。


過去に育った環境も、今抱く悩みも、これから過ごしたい未来も、どれも私ならではだ。



迎えられる全てを、肌に感じパッティングするように、心に吸収し深呼吸をしながら、私の道を、歩く姿を見ながら、進んでゆきたいな。

2016年8月23日火曜日

北海道に来ています。(^^)






こんばんは。

今私は、北海道へと来ています。

父方の実家、祖母のお家です(^.^)


昨日~今日にかけての台風で、飛行機が無事に飛んでくれるか心配だったのですが、何とか予定通りに出航してくれました。


4泊5日。

少し長めにお仕事のお休みを頂きました。

“北海道”という普段の生活から離れた地と、異なった空気、景色、時間の過ごし方で、良いものが吸収出来るといいなと思い。


近頃、物事の捉え方、考え方、呼吸に対しての意識が良き方向へと向かっていっていると変化を感じていたのですが、今朝、成田空港へと向かう電車のなか、久しぶりの具合の悪化。


始発の電車に乗って空港へと向かう予定だったので、4時前という、早めの起床。

そのこともあってか、起きた瞬間に、「あ、なんか気持ち悪いな。」と。

嫌な予感でした。


その嫌な予感はそのまま嫌なものの正体へと姿を変えてゆき、電車のなかで吐き気を感じ。

それでも、この電車で向かわなければ飛行機に乗られない。

そのプレッシャーが更に追いうちをかけるように、体調と意識を平然と保っていられず。

近頃の自分は、意識に対して変わったものが大きくあると実感していたので、『大丈夫大丈夫。』と思えば落ち着くかなと信じていたけれど、全くもって別でした。

具合の悪さには、勝てないものでしょうか。


冷や汗?脂汗?が溢れてきてひたすら止まらず、車内の冷房も効きすぎていて、もとから冷房に弱い私は、更にマイナスの要素を受け取り、そして、座席に座っていられているのだから、せめて目を瞑って眠っていられればいいものの、あまりに必死の状態で、一秒足りともじっとしていることが出来ず。

普段、通勤途中で具合が悪くなったときは、最悪な場合、お仕事遅れて到着させてもらうということも出来るので、その安心感もあってなのか、電車を降りてしまうのですが、さすがに今日は飛行機なので、遅れてゆけないと、必死に具合の悪い自分を「大丈夫大丈夫!」と、押さえ込んでいました。


こんなに辛いことないですね、具合の悪さに関して。


毎回毎回こうして、倒れる寸前にまで具合が悪くなり、その度に「こんな辛い思いは、二度とご免だ。」と思うのですが、今日はそれが北海道到着までの午前中だけで、3回もありました。

もう具合の悪さと闘っているときは、生きている次元が異なっているような、そんな感覚です。


いっそ、気を失ってくれた方がよっぽど楽なのに。


始発に乗った電車のなか、そして、乗り換えた電車のなか。

きっと、限界を超えてしまったのでしょう。
身体が必死に押さえつける気持ちを突き破り、無理だと思い、空港まであと一駅ってところで、電車を降りてしまいました。

具合が悪いときは、たったのあと《10分》さえも、地獄の時間なのです。



そして、気づいていました、具合が悪いとき、喉の筋肉が固まっていて、全然息を吸いきれていないこと。


苦しい苦しいと、ここを戻さないと具合も戻らないとわかっているのに、制御不能。

段々と悪くなっていってしまうこと、何回も、痛いほどに経験しているのに。



もはや、自分の身体では、ないのです。


何とか落ち着いて、電車に飛び乗り、ギリギリ空港に到着し、もう大丈夫と飛行機乗って眠りに就きました。

ふとした瞬間、目が覚め、そうしたらなんと、また「気持ちが悪い。」という悪い思いが襲ってくる。

狭い空間で、自分の唯一具合の悪いときに落ち着ける、《前屈み》の姿勢がとられない。。


「周りに人がいる。」

「動けない。」

「気持ちが悪いけれど、ここではだめ、堪えなければならない。。」



辛すぎました。


さすがに3回も、一日のうちでピンチの時を迎えるだなんて、思ってもいませんでした。



その後は、父と合流もし、知っている人がいるという安心感と、ここからは電車という少し空気の吸える空間が広い場所ということもあってか、段々と落ち着いてゆきました。



ふぅ。



やっと、変われたのかな、自分はと思い始めたところで、一気に振り出しに戻されてしまったような感覚。


なかなか簡単には、いかないものですね。






↑夕方、祖母のお家からお散歩した時の写真。



変わらずとも、変わろうと願えば、進めば、少しずつの角度でも、前を向いてゆけるように、なるのでしょうか。


陽の光りが射す良き方向を、今後しっかり、見つけられますように。