2016年6月30日木曜日

知ってもらうようになって。









こんばんは。


このブログを始めて2ヵ月が、過ぎました。

普通の日記であれば、書き記して二ヶ月経ったということですが、このblogで二ヶ月経ったということは、声の障害も同じように続いているということ。

変わらずに、続いています。


その声のことを、一昨日、わたしのことを知ってくれているかたたちに向けて、ここのブログ以外の場所で発信をしてみました。


そんなことをして、


障害のことを知ってもらえるのは嬉しいことだけれど、私が思ってきたことを知って、反対に誰かを傷つけてしまったり、これから私と接することを迷わせたり、悩ませてしまったりすることがないといいなぁと、思います。



上に貼ってある写真は、昨日今日と、山梨県の《河口湖》へ旅行してきた際の写真。

咲いているお花たちや自然が、とても綺麗でした。


声のことから心離れて、夢中に嬉しく、写真を撮っていました。


皆さんにも、(写真になってしまいますが、)お裾分け。



ーーーーーーー

**




そして、

昨日は一日曇りぞらでいっときも見えずだったのですが、今日も雲がかかっていながらも、帰る間際になって現れてくれたのが、念願の富士山の姿。

「今日はお願い!」と秘かに願っていたのですが、ひょこっと本当に、河口湖駅に着いたときにだけ奇跡的に現れて下さった、富士さんに感謝!*


どうもありがとうv♪

ーーー


“心の声は、届くものなのでしょうか”


(^-^)

2016年6月27日月曜日

大切な扉。

こんばんは。

今日は、久しぶりに喉の筋肉があまり固まらず、だいぶ首まわりが楽でした。

声もその分、とても出しやすかったです。

喉が不調になってから、「喉が楽だ!」と思えたのは、今回で二回目。


なぜ楽なのか、理由は分からないけれど、気持ちとしては本当に楽で、苦しみから解放されている感覚が、何より大きいかな。


職場の人と言葉を交わすことも、嬉しかったです。

今日いちにちが、もっと声を出す機会があれば良かったなぁなんて。


明日はまた、どうなっているか分からないけれど。


毎日、外に出たり人と接したりすると、一言でもたくさんのお喋りでも、声を出す機会は必ずついてきて、喉のことで苦しさや気分もコントロールされてしまっているここずっと。
“声が出る”、それは当たり前のことだけれど、それが出来ることが、とても嬉しい。


当たり前のことが、本当に嬉しい。



泣きたくなるくらいに、喜ばしい出来事なのだなと。

まるで、赤ちゃんが初めて寝返りをうったときみたいに、まるで、初めて立ち上がったときみたいに。



人間が起こすことの出来る動作が、もはや当たり前でなく、その人自身が得て出来たことなのだと、思い知らされます。


一度閉ざしてしまった扉は、なかなか簡単には開かなそうですが、その分思うこと、気づかされることが多いので、私にとっての《大切な鍵》を人生のなかで渡されたのだと思い、キュッと離さず握りしめて、時間はかかっても、この鍵で開けられたらいいなと思います。


私だけの扉、私だからこその経験。

2016年6月23日木曜日

音楽のことはしっかりと。

こんばんは。

今日は先程まで、ボイストレーニングの学校にて、レコーディング作業進めておりました。


自分の作る曲のことになると、『ここはこうしたい』、『これよりはこっちのほうがいい』、妥協せずはっきりと、一緒に作ってくださる方(ここでは、ボイトレの先生。)に自分の思っていること、意見、希望をお伝えします。


声がかすかすであろうが、段々と声を出すことが苦しくなってこようが。

(先生は、声の障害のこと知っています。)


そうして作り上げる、納得のいく作品が、わたしはとても好きなのです(^^)

まもる。

朝、喉の痛みと苦しさと闘いながら出勤。

歩いていて、警察署の横を通った。


自分の命を“護”ってくれるのは警察かもしれないけれど、


自分の生きている命をしっかり“守る”のは、やはり自分なんだろうなと思いました。


しっかり、守っていかないと、、

毎日毎日。

朝電車に乗るたび、喉の筋肉が緊張状態で、首をしめられているような感覚が本当にただ、苦しい。

息も吸えなくなってくるし、緊張状態から具合悪くならないように気を落ち着かせようと、緊張状態から気を紛らわそうと、必死。


なかなか辛いですねぇ。。


どうにかなってもらわないと、日々、もたなくなってきそうです。

2016年6月20日月曜日

偏頭痛からの、思ったこと。

こんばんは。

喉のこととは全く関係ない話になってしまいますが、今日は午後から強い偏頭痛に悩まされました。

お仕事をしていたのですが。


よく、雨が降りそうなときなど気圧の変化で痛くなりがちです。

今日はきっと、暑さと湿度の高さも原因にあったのでしょう。

何とかお仕事中は頭の痛さだけで乗りきったのですが、お仕事終わって会社に着いたらアウトでした。

やっと終わったという気のゆるみか、頭の痛さがズキズキと倍増、そして吐き気も出てきて、制服から私服へ着替えをするため更衣室向かい、完全に動けなくなり横になりました。

それでも吐き気は増してゆき、久しぶりに戻してしまいました。
(すみません、あまりいい表現でなく。。)


体調のあまりの悪さと、何とも言えぬ原因不明の悲しみに襲われ、過呼吸にもなりました。

『つらいつらい、助けてー。』って、言っても誰にも聞こえないだろう叫びを放ちました。


なぜか、涙も流れてきました。

どうにも動けないので、痛み止めの薬を飲み、更衣室の畳の上で再び横になり、、


1時間くらい、痛みと体調の悪さとの闘いでした。


頭の後ろのほうまで、ぎゅーーっと痛みが弓矢の矢を引く動作のように引かれている感じで、辛かったです。


それと、喉の筋肉が固まる感じで、首の後ろの筋肉もツっているような感覚でピーンと痛かったです。



何とか、飲んだ痛み止めの薬も効いてきて、落ち着いてきたところで、頑張って帰ることにしました。

前にも記事にしていましたが、体調悪いときの電車はわたしにとっての恐怖で、扉が閉まったら次の到着するまで出られない、その間に具合悪くなったらどうしようなどの考えを抱いてしまうからか、更に緊張してしまい、具合の悪さにスポットが当たり、ますます具合が悪くなってゆきます。

そうならないためにも、具合悪くないんだと、逆に思い込んだり、無理矢理別のことや周囲に目を向けたりして、具合の悪さから意識を離そうと心がけます。

高確率で、具合悪くなってしまうのですが。


そんな感じの電車なので、今日も頑張って帰ってきました。


見事、無事に帰ってこられた自分に拍手を送りたいくらい。

**
家に「ただいま。」と普通に帰ってくること。


それって、当たり前のようで、結構大変なことでもあるのだなと、体調を悪くしたときは強く実感する、今日でありました。


今も何となく、頭が痛いので、やることまだあるのですが、自分のためを思って今日は、そろそろ寝ましょうか。

お休みなさい。

2016年6月18日土曜日

月9『ラヴソング』。

こんばんは。

遅い時間ですが。



今日は、ずっと書きたいと思っていた、内容を。




この間、月9『ラヴソング』が最終回を迎えましたね。

私は、一話目から全部観ていました(^^)


福山雅治さんと、相手役の藤原さくらちゃんが共演するとのことで、放送をとても楽しみにしていたものです。
さくらちゃんは2度、夏フェスのステージで観たことがあったので、果たしてドラマだとどのようになるのだろうと、興味がありました。

ドラマを観始めてみると驚くことに、さくらちゃん演ずる佐野さくらちゃんは、〈吃音症〉でした。

私の〈過緊張発声障害〉とは少し違いますが、同じ声の障害。
吃音だと、特定の言葉が出づらかったりするみたい。

ドラマのなかで、同僚の人たちとランチをしながらお喋りをしていて、何度かさくらちゃんが話しかけようとしているけれど、それも出来ず、悔しそうにしたり落ち込んでいる様子を見て、強く共感してしまいました。

そんなさくらちゃんは、声をすんなり出すことの出来る『歌』を通して、成長して、沢山葛藤したり楽しさを得たりしながら、日々を進んでゆく。

福山さん演ずる、さくらちゃん担当の言語聴覚士、神代広平さんに恋心を、抱いてゆきながら。



なんといいますか、さくらちゃんが唯一、気を楽にそして楽しみながら、声を出しているのが、『歌』となった展開のところで、一気に共感する想いは途絶えてしまいました。


私には、“歌すら歌うことができない”、と。



声を出すこと自体が出来づらくなってしまった今、歌のときももちろん、声が出づらい。
それは、歌を歌って音楽活動をしている私には、とても悲しい出来事でした。

せめてさくらちゃんのように、症状の出ない場所が『歌』であれたら。


自分を、普段からあまり上手に表現出来ない私が、音楽を通して、自分の作り出す音楽を通して自分を表現してゆく。


その唯一の居場所さえも、奪われてしまったようでした。


“ここ(音楽)さえも、私にはうまく表現出来ないんだ……”、と。


さくらちゃんは途中、喉に〈悪性の腫瘍〉が出来てしまい、手術をすることに。
その際はもしかしたら、“声帯”を失ってしまうかもしれない=声を失ってしまうかもしれない、状況に陥っていましたが、なんとか無事、声帯を失わず腫瘍を摘出。



私も、「過緊張性発声障害」と診断されるまでは、喉に何が起こっているのかわからなかったので、もしかしたら最悪、“声を失うこともあるのかも?”と、思ったこともありました。
あまりに日に日に、声が出づらくなってしまっていたので。


声を失わなくとも、“このままだとこの先、どのような声になってしまうのか”、“益々出づらくなってしまうのか”、“一体いつ元に戻るのか”、不安な日々でした。


障害を診断された今は、〈リハビリ〉ということでメニューが課されているので、「治る(治す!)」と信じ、不安な気持ちも一時よりは、落ち着いたかなと思います。

(自分に起きている悪い出来事や変化が何なのか、正体が分からないと、とても不安なものですね。)


それでも、毎日声が出づらく、調子が悪いと本当にかすかすで、聞いている人も苦しくなってしまいそうなくらいひどい声で、調子が悪くなくとも、今まで出していた声とはまるで違うもので、ふとしたときに、「なんでこのような声になってしまったのだろう。」と思い、今まで出してきていた声がもう思い出せないくらいになっていることが、本当にただ、悲しいです。。


自分の声がわからない。

今まで出していた声、声の出しかた、もう忘れてしまいました。




「これから声が段々と出なくなるよ」、そう分かっていたら、無理矢理にでも、それまでの声や声の出しかたを、覚えようとしたのに。



急に訪れた不意な変化は、ただ、悔しいものですね。




ドラマ内で、宇崎竜童さん演ずるライブハウス『S』のオーナーさんが、さくらちゃんが腫瘍摘出の手術を前に、福山さん演ずる神代さんに向けて、言っていました。




『人前で喋るのが苦手だった女の子が、ひとりでステージで歌えるようになったんだ。
歌声だって、元通りになるさ。』




抱いた“勇気”が、何かを大きく変える。




今日、この日記を書いたのは、明日、自分のライブがあるから。

少しお久しぶりのライブ。
(1ヶ月半ぶりくらい。)


お久しぶりであり、お休みをする前の、ライブ。



声のことがあるので、少しライブをお休みしてみようかな、と思っています。

そして、声のこと、「過緊張性発声障害」のこと、ライブでお話をしてみる予定です。


**

何かが大きく、嬉しく変わってゆきます、ように。

2016年6月15日水曜日

リハビリ二日目。


こんばんは。

段々と、日が延びてきました。


ボイスクリニックでのリハビリに行ってきました。


今日は、この間課されたリハビリメニュー、『話をする前に、色々と自分なりの話しやすい工夫をしない』、そのことについて行ったこと、成果、以前話をする際に意識していた項目について、実際意識せずに出来ていたかの比較をしてきました。


何も考えずに話をしようと頑張ったこと、よくは頑張れたけれど、実際は、「『何も考えないように“しよう”』と意識してしまっているよ。」と、担当の言語聴覚士さんに言われてしまいました!


本当ですね、意識しないように意識しないようにという、“意識”をしてしまっていました!


リハビリメニューは、そこの意識すらもないように話せるようになること。



自然に話をすることが、なんだかとても、難しいです。。


ということで再度、『意識せず話をすること』の、リハビリメニュー〈続行〉となりました。



それと、今朝満員電車で苦しくなってしまったこと、話をすることに限らず、喉の筋肉が固くなってしまうことがあること、についても話をしてみました。


もしかしたら、人よりセンサーが過敏に働いて、筋肉を固めてしまっているのかもしれない、それと、

周りの人を強く意識しすぎてしまう“社会不安障害”や“パニック障害”という障害のお話も、例として挙がってきました。


“社会不安障害”というのは、初めて耳にした障害でしたので、これから少し検索をしてみようと思います(^^)



次のリハビリ日までに、また何度か知り合いや家族に会う機会、そして自分のライブがあるので、何も意識せずに話をしたいなと思います。


頑張ります!


、といったらまた話をすることに意識してしまうので、何も考えず、何も考えずですね。


満員電車と緊張スイッチ。

おはようございます。

出勤前に乗っていた電車が、かなりの満員状態でした。

普通に乗っていたのですが、ある駅について、近くにいたかたが勢いよくわたしの前を横切り、電車を降りてゆきました。

その勢いに無意識に驚いてしまったのか、一気に喉のまわりが緊張状態になってしまいました。

まるでスイッチが入ってしまったかのような、急変。

こんなことまるで初めて。


いつもは徐々に緊張してゆくと思うのですが、今日は一気にでした。

喉のまわりがかたくなり、緊張しているのがわかり、気分が悪くなる寸前でした。

なんとか「大丈夫大丈夫。」と言い聞かせ、具合が悪くなるのは防げました。良かった。


具合が悪くなりそうな前、何となく車内の空気がこもっている感じもあったり、まわりにいる人たちが、満員電車で嫌そうにしているのも気になっていたというのも、もしかしたら、要因であったり、するのでしょうか。。

それにしても、“スイッチ”と感じるほど、パチッと緊張状態になってしまったのには、びっくりでした。


今日はお仕事のあと、ボイスクリニックなので、言語聴覚士のかたに相談してみようかな。

声を出すこと関係なく、喉の筋肉が固くなってしまうこと。


ーーー

人がたくさんいるなかで生活してゆくこと、わたしにはとても厳しいのではと、思ってしまうときがあります。
《過緊張性発声障害》、この障害をもっていると。


緊張状態になっては、声が出なくなる。喉の筋肉が固くなり、喋るのも呼吸をすることも苦しくなる。

ときには、気分が悪くなり倒れてしまいそうになる。


けれど反対の意味で捉えると、「人がたくさんいるなかで、生きてゆきなさい」と、言われているような気もします。


避けたいと思っている場所、けれど、避けては通れない場所なのだから。

2016年6月11日土曜日

楽しかった♪

こんばんは。

今日はいまのお仕事先で一緒だった社員さんの女の子と、会っていました♪

一緒だったというのは、もうその子は辞めてしまったので。。

何歳か下の子なのですが、仲良く接してくれて、こうしてお仕事別でご飯を食べたのは、初めてかな(*^^*)

何回かご飯のお話は出ていたのですが、ようやく実現できましたv


ご飯食べて、雑貨屋さんなどいくつかお店もまわり、最後はプリクラを撮り(^-^)


楽しかった♪


なんだか、お友だちとこう仲良く楽しくお話をする感覚、しばらく忘れていたのかな?

あまりお友だちと遊ぶ機会が、なくなってしまっていたので。

久しぶりに、沢山笑ったな。

面白いことも気を遣わず話せたな。


なもので、会ったときは声の調子良かったのですが、後半はもうカスカスでした笑

声を出す苦しさが物凄いことになっていましたが、よく頑張りました笑


声が苦しいのもあるけれど、たくさん話をしたので、なんだか耳の奥もすごく痛くなってしまいました。

何なのでしょ、耳と喉、繋がっているのでしょうか?


いたたたたた。



(でも、楽しかったのですべてヨシ!v)

2016年6月9日木曜日

やっぱり難しいなと。

こんばんは。

今日はお仕事で、話をする時間が多くて。

リハビリメニューの『話しやすいように工夫をしないこと』を意識して、何も考えずに話をしようとしても、やはり声は出てこず。

色んな話をしようと心がけるので、段々と声が出なくなってきて息苦しい状態が続いてしまいました笑

4回くらい、お話をしている相手のかたに「え?」と聞き返されてしまいました。
そうならないように、声を大きく出そうと頑張るけれど、声がちゃんと出ていない状態が逆に目立ってしまう感じに、徐々に凹んでゆく、、


普通に話そうと心がけるけれど、やはりそれは単純で簡単なことではなくなってしまったのだなぁと、思い知らされます。


来週だったかな?

またリハビリでクリニックに行くけれど、次はどんな課題が課せられるのでしょうか。

リハビリでちゃんと、良くなってゆくものなのかなぁ?



普通に、話したいこと何も気にせずに、話出来るようになりたいなぁ。

2016年6月4日土曜日

昨日実家で。

こんにちは。

昨日、実家に少し用があり帰っていました。

「過緊張性発声障害」を患っていることを知らない妹に、前回実家に帰った際、わたしの話す声を聞いて「ガラガラなの??」と聞かれ軽くショックを受けていたのですが、まだ発声障害のことは言っていませんでした。

けれど、昨日も「声ガラガラだね!」と言われたので、発声障害のことを打ち明けました。

妹はアパレルのお仕事をしているのですが、同じ職場で、ストレスが原因で《難聴》になってしまった方がいると、わたしの症状を聞いて、教えてくれました。


“ストレス”って、自分が思っている以上にダメージを受けているのでしょうね。。


わたしの場合は声ですが、その妹のお知り合いさんは耳。
ストレスの溜まり具合が、キャパオーバーしてしまい、身体に悪い変化がきてしまうのかな。
身体に不調が出て、「辛いよ」のサインが表れてくるというか。



わたしは、なぜか、リラックス出来るであろう家族やお友だちなど身近な人ほど、話をするとき声が出なくなってしまうので、昨日はひたすら一日中、声を出す苦しさを抱きながら、話をしていました。
もう、家族はみんなわたしの症状のことを知っているので、出なくてもあまり気にしすぎずに、頑張って話をするようにはなりました!
(ただ、電車や飲食店など、まわりに人がいるときは、やはり声を聞かれてしまうことを気にしてしまいます。)



一日、ほとんど最高に悪い状態での声が続いていたのですが、夜、ふと母に何か聞かれた質問にこたえるとき、なぜか無意識に答えたためか、自然と声が出たようで、「今の声、すごく綺麗だったよ!!!」と、母に言われました。
どうやって声を出したかすら、あまり覚えていなかったので、その声の感覚を掴むことは難しかったのですが、そう考えると、普段いつも話をする前にどう話そうか、何を話そうか少し考えてから話をしてしまっているような?
癖、なのでしょうか。

自然と話したいことを話し、自然と受け答えをする。


単純なようで、わたしには少し難しいことなのかもしれません。

スムーズにスムーズに。

息詰まり、行き詰まり、どちらもなくしてゆきたいものですね。

2016年6月2日木曜日

本日もレコーディング。


こんばんは。

今日はボイトレの学校にて、レコーディングでした。
この間、5月の終わりに録音していた曲の、本Rec.

今日はお仕事でクタクタになったあとで、レコーディングに挑んだので、疲れもあってあまりいいテイクが録れないかなぁと思いながら、学校へと行きました。

結果的にいうと、納得のいくものが録れました♪
想像とは、反対(^-^)



初め、先生との声出しの発声練習のときに、声の通りが良い場所のイメージを掴めたので、では、その声でレコーディングに向かってみようと意気込んだのですが、レコーディングとなると、全く声の出る場所がずれてしまい、だめだめの声でした笑

あ、いつものだめな声か、と。

何回か歌っていくうちに、声の出がいい場所のイメージを掴んでは、また次歌うときには、その場所が分からなくなってしまい、だめな声、の繰り返し。

歌い方や発声など、色々と細かく気にしなければいけないことが多く、「ここは音程を気を付けよう」、「ここはこう歌わなければ」、そう強く意識してしまうと、“出しやすい声”というところから意識が離れてしまい、声が出づらくなってしまいます。


ブースの向こうで、レコーディングの音を聴いている先生からも、イマイチの感想。。

その感想に、いちいち凹んでしまうのも事実。


だめなテイク→だめなテイクへと矢印がどんどんと進んでゆく。、


声を録音していくタイミングであったり、流してもらいたい音の箇所、“何となく自分の求めているものと少し違うかな”と思うだけで、段々と調子が崩れてゆく。
これもきっと、ダメへの連鎖に繋がっているのかな、と思います。



音楽に限らずですが、ベストな状態から離れたものや、ベストな状態を崩されてゆくことは、とても苦手。
調子が狂ってゆき、体調すら悪くなってしまうことも、、ある。

厄介な生き物だなぁと思います、自分が。

そんなベストな状態など、むしろ珍しいくらいの、世の中であろうに。



なので、

歌っていくうちに意識が途切れたり、いい声の出る場所が分からなくなってしまうのなら、一曲まるまる歌おうと。随所随所で止めて、レコーディングするのではなく。


そうしたら、


案外と、案外とと言いますか、予想通りでしょうか、
よく歌えました。
かなりの集中力は必要となってきますが、あとは忍耐力もかな。

けれど、歌っている雰囲気、初めから“この声を”と、いい音の出を意識して、それが出たときには、調子も上がり、あとはその状態をキープ。


一曲通して歌っているので、どれも自分のタイミングで歌える、聴こえる。

ベストな状態。


音程や声の伸びなど気になる部分や、直しが必要なところはありましたが、全体として、ひとつの曲として非常に成り立っているモノとなりました!
無事に。


よかったです(^^)



あ、写真は、

今日朝、お仕事へと向かう途中に歩いていて見付け、癒されたので♪