2017年2月21日火曜日

“受け入れる”こと。





こんばんは。


最近、本を読んでいます。

『パニック障害』の本は、同じ職場のかたが貸してくださった本。

対処法やアドバイス、症状、体験談など、分かりやすく書いてあり、「なるほど。」と思ったり、共感することがとても多い。

『嫌われる勇気』は、この間、父からもらったもの。

父もこの本を読んだみたいで、読みやすいのと、感じるものも多くあったみたいで、私にもおすすめしてくれました。

確か、小林麻耶さんが、この本にとても影響を受け、『何十回も読み返した!』というのを、以前、テレビの番組で見たことがあり、少し気になっていました。

今は、香里奈さん主演で、ドラマでも放送されていますね(^^)

主題歌をやっている大塚愛ちゃんが好きなので、ドラマは初回から毎回、観ているのと、本は1/4くらいのところまで、読みました。

なんだか、「影響を受ける」と言われていること、確かに分かる気がします。


**
タイトルに付けた、“受け入れる”こと。


最近、この言葉に出会うことが多い、かな。


本にも出てきたり、この前出演したライブで、同じ症状をもったかたとお話させてもらう機会もあって、そのときもその言葉が出てきて。



何かの“暗示”な気もします。


ここ最近、何かの言葉に引っ掛かる、だとか、誰かによく遭遇する、だとか、何ていうのでしたっけ、“シンクロ”?


**


自分のネガティブな部分、起こっている障害や病気、後悔や嘆くよりも、“受け入れ”て、どう対処、展開させてゆくか、というところでしょうか。


心が、ひとつ大きく、育ってくれるよきタイミングが訪れてくれたのかも、しれません。


しっかりと迎えて越えて、成長させてゆきたいですね(*^^*)


せっかくの人生、少しでも明るく、楽しく過ごしてゆかないと。

2017年2月17日金曜日

カウンセリング三日目。~“安心”を知ること。

こんばんは。

本日はカウンセリング三日目。


今日はまず、前回のカウンセリングから一ヶ月経ちましたが、その間にパニック障害にあわなかったことをお伝えし。

そして、『なぜ、話す言葉を選んでしまうのか。』、『なぜ、大きな音や乱暴な言葉などが苦手なのか。』の“なぜ”の部分に、少し焦点を当てて考えてみるカウンセリングでした。


それと、『自分が“安心”出来る場所は、どこなのか。』


“なぜ”の部分は、恐らく、自分が育ってきたなかで、無意識に塞いでしまったトコロにあるのでしょう。


『“安心”出来る場所』というのは、《一人》でいるとき以外は私にとってはほぼ皆無で、日常的に周りに怯えて、何かにとらわれながら息をして生きているので、そういう世界でも、“自分には何も悪いことは起こらない”と、認識させることが大切みたいです。


頭で理解して、認識をしていても、心が“そうではない。”と、遠く〔離れてしまっている〕のが、今の私の現状。


《頭》と《心》がおおきく、離れている。


徐々に慣れさせて、近づかせてゆかないと。


近づかせるというより、元からある定位置へと。もどす。



**


私にとっての《なぜ》の部分に触れた今回のカウンセリングでしたが、カウンセラーの先生が、私に抱いているひとつ大きな《なぜ》が、あって。

声が出ない、人が苦手、人前が苦手、見られることがいや、な私が《なぜ》“音楽”をやっているか。



確かに、言われてみると、私にとっての“いや”要素満載のものに、あえて携わっている感じですよね(^^)笑


もちろん、上手くいかないことが多かったり、ステージでも怯えたり、心臓が飛び出しそうになりながらも懲りずにライブを続けている。



「音楽が好き!」

「プロになりたい!」


そう、強い想いがあるわけでもなく、いつしか音楽をやるようになり、いつしか音楽に楽しませてもらったり、救われる自分もいたり、いつしか音楽に自分を表現してみたり。


唯一、落ち込むだけ、負けるだけの場所でないのが、《音楽》だからなのでしょうか。


しっかりと闘って、何度も何度も向かってゆける場所。



そしてもうひとつ、きっとここも大切なのだろうなと思うのは、“わたしを認めてくれる人がいること”。




自分をしっかりと越える為、そして大きく励ましてくれる為に、神様が与えてくれた、“試練と支え”なのではないかと、今日、カウンセリングを終えてふと、考えました。



ツンとデレですね!







言い方があれですか(^^)笑


飴とムチのほうが、しっくりきますかね?

2017年2月2日木曜日

覚えること。動作すること。


こんばんは。

今日はお仕事での出来事を、久々に。

**

ここ最近、作業をするうえでのルーティーンでやっていた役割が、変わりました。


普段、他のかたの動きを目にしていたので、自分でも出来るかと思いきや、いざ自分でやってみると、全く違う動きをしてしまいました。


「違う違う。ここはこうだよ。」と、丁寧にひとつひとつ教えてくれる仲間のかたがたには感謝で、けれど、『説明を受けること』が“苦手”なわたしは、説明を受けながら動きにおこすことが、あまりスムーズにいきません。

“ながら”作業が昔から、苦手なのです。
(最近、そのことに気が付きました。)

二つのことを、一度に同時に出来ない、というか。

二ついっぺんにやろうとすると、頭がパニックを起こす感覚があります。


なんだか、余裕がなくなって、いっぱいいっぱいになってしまうのですよね。。


お仕事でも、説明(言葉)を聞いて、頭でしっかり理解をする前に体で動いてしまうと、理解出来ていない分、動けなくて。


そんなわたしの行動に、イライラさせてしまっていないか、呆れられてしまっていないか、相手の感情や表情を気にしてしまう。。


それに怯え、動きもうまくいかなく、結果、だめだめな感じになってしまいます。

そうして、落ち込む、のパターン。


落ち込んだら落ち込んだで、心のなかだけで収めればよいものの、いかにも“落ちています”という空気を放ってしまう。

本当に気分が落ち込んでしまっているのと、あとはもしかしたら、心配をしてもらいたいのかなって。

そんな考えのよぎりも。


けれど、それは単なるわたしのわがままだと気づいたときには、そのような考えを抱いたり、そういう空気を出してしまう自分に憤りが出てきて。



仕事に集中、作業に集中。

自分は意思のない空っぽの、ただ動くだけの“人形”だって。


そうでも思わないと、あまりの《不安定》な心の状態で、自分がどういたらいいのか分からなくなってしまいます。


**

“ながら”が出来ないのと、あともう一つ。

《記憶力》がないなと、ここ最近、強く思いました。


せっかく説明をしてもらっているのに、頭で理解するまで時間がかかってしまうのと、完全に説明を理解して自分のものにしないと、行動に自信がもてないのと、何度も繰り返さないとその作業を覚えられない。


このあたりは、パニック障害ではなく、アスペルガー症候群のほうに、近いのでしょうか?


向きや位置などが、覚えていたことと少しでも違ってくるとなると、頭のなかでパニックを起こし、全く分からない状態になってしまうのです。。


厄介ですね。


この“厄介”が、わたしと関わるかたにも思われてしまうのだということの、申し訳なさと恐怖感。


***

写真の鬼は、今日から2月ということで、‘節分’の鬼。


スーパーで豆まき用のお豆を買ったところ、お面もお持ち帰りようで置いてあったので、もらって帰ってきました!

今日の朝、お仕事場の倉庫に飾ってみたりして笑

季節ものだし、いいかな?と思ったのですが、それを見たお仲間さんがたに、「いやいやいや(^^)」と、笑われてしまって。

それが、面白半分で笑っていたのか、本気の意味での「いやいやいや」だったのか、瞬時に後者の意味で捉えてしまったわたしは、すぐに落ち込んでしまいました。
(あまり、表には落ち込んでいる表情を出さなかったけれど。)



よいかな、喜んだり楽しんでもらえるかなと思ったけれど、そうではなかったのかな。



難しいな。



だから、人に対して行動をおこすことに、臆病になり、億劫になり、次第に止めていったのでしょう。。



自分が、“考え過ぎ”なだけなことも、あるのだろうけれど。


、、難しいな。。

2017年2月1日水曜日

ボイトレにて♪



こんばんは。

今日はボイトレでした。

お久しぶりに〈発声練習〉をしました。


息を吐くのは申し分ないとのことでしたが、ハミングや声を発するとなるとやはり、詰まりやヨレが。

スタッカートの瞬時のみの声だしでは上手に声が出てきても、その音を伸ばすとなると、すぐにダメな音に。


《過緊張性発声障害》の影響が、もろに出ているかなと思います。

声を出すことに対しての〈恐怖心〉のようなものと、〈拒絶感〉がいつの間にか、無意識に頭のなかに根付いているのかな、と。


「こうやって音を出したい」、「ここに声を乗せたい」と頭ではわかっているのに、そう出来ない、そう、させてもらえないと言ったほうが正しいくらい、身体が勝手に反応をして、声を出そうとすると、喉を締め付けてしまいます。



分かっているのに“出来ない”、ということが、悔しいですね。

「頑張って」、どうにも出来ないこと。



一体どうすれば、なおるのか、、


***


それでも、ピアノでの弾き語りを先生に聴いてもらったとき、よい反応をいただけたことが嬉しかったので、大きくヨシです(^^)v


大きな鏡の前、見られながらの演奏、頑張りました!



ピアノのタッチ感、音の聴こえかた、広がりかた、声の聴こえたかた、マイクの位置、部屋の照明の暗さ、自分にとっての割りと“ベスト”な状態が、結構よかったのかもしれません。

どこかひとつでも「やりにくいな。」と感じてしまったら、それは私にとってもう大きな“マイナス”の出来事&要素となってしまうので。


常に、ベストがいい。


そのような状態、なかなかあり得ないけれど。難しいけれど。





音楽をやっていると、音楽だけでなく、自身と真正面から向き合っている感じがします。


常に闘っている。


長い間、こてんぱんにやられてきたのだから、そろそろ反撃、してみたいな。


なんて(^^)♪


自身(自信)の種、開かせられるよう、頑張ります。