こんばんは。
今私は、北海道へと来ています。
父方の実家、祖母のお家です(^.^)
昨日~今日にかけての台風で、飛行機が無事に飛んでくれるか心配だったのですが、何とか予定通りに出航してくれました。
4泊5日。
少し長めにお仕事のお休みを頂きました。
“北海道”という普段の生活から離れた地と、異なった空気、景色、時間の過ごし方で、良いものが吸収出来るといいなと思い。
近頃、物事の捉え方、考え方、呼吸に対しての意識が良き方向へと向かっていっていると変化を感じていたのですが、今朝、成田空港へと向かう電車のなか、久しぶりの具合の悪化。
始発の電車に乗って空港へと向かう予定だったので、4時前という、早めの起床。
そのこともあってか、起きた瞬間に、「あ、なんか気持ち悪いな。」と。
嫌な予感でした。
その嫌な予感はそのまま嫌なものの正体へと姿を変えてゆき、電車のなかで吐き気を感じ。
それでも、この電車で向かわなければ飛行機に乗られない。
そのプレッシャーが更に追いうちをかけるように、体調と意識を平然と保っていられず。
近頃の自分は、意識に対して変わったものが大きくあると実感していたので、『大丈夫大丈夫。』と思えば落ち着くかなと信じていたけれど、全くもって別でした。
具合の悪さには、勝てないものでしょうか。
冷や汗?脂汗?が溢れてきてひたすら止まらず、車内の冷房も効きすぎていて、もとから冷房に弱い私は、更にマイナスの要素を受け取り、そして、座席に座っていられているのだから、せめて目を瞑って眠っていられればいいものの、あまりに必死の状態で、一秒足りともじっとしていることが出来ず。
普段、通勤途中で具合が悪くなったときは、最悪な場合、お仕事遅れて到着させてもらうということも出来るので、その安心感もあってなのか、電車を降りてしまうのですが、さすがに今日は飛行機なので、遅れてゆけないと、必死に具合の悪い自分を「大丈夫大丈夫!」と、押さえ込んでいました。
こんなに辛いことないですね、具合の悪さに関して。
毎回毎回こうして、倒れる寸前にまで具合が悪くなり、その度に「こんな辛い思いは、二度とご免だ。」と思うのですが、今日はそれが北海道到着までの午前中だけで、3回もありました。
もう具合の悪さと闘っているときは、生きている次元が異なっているような、そんな感覚です。
いっそ、気を失ってくれた方がよっぽど楽なのに。
始発に乗った電車のなか、そして、乗り換えた電車のなか。
きっと、限界を超えてしまったのでしょう。
身体が必死に押さえつける気持ちを突き破り、無理だと思い、空港まであと一駅ってところで、電車を降りてしまいました。
具合が悪いときは、たったのあと《10分》さえも、地獄の時間なのです。
そして、気づいていました、具合が悪いとき、喉の筋肉が固まっていて、全然息を吸いきれていないこと。
苦しい苦しいと、ここを戻さないと具合も戻らないとわかっているのに、制御不能。
段々と悪くなっていってしまうこと、何回も、痛いほどに経験しているのに。
もはや、自分の身体では、ないのです。
何とか落ち着いて、電車に飛び乗り、ギリギリ空港に到着し、もう大丈夫と飛行機乗って眠りに就きました。
ふとした瞬間、目が覚め、そうしたらなんと、また「気持ちが悪い。」という悪い思いが襲ってくる。
狭い空間で、自分の唯一具合の悪いときに落ち着ける、《前屈み》の姿勢がとられない。。
「周りに人がいる。」
「動けない。」
「気持ちが悪いけれど、ここではだめ、堪えなければならない。。」
辛すぎました。
さすがに3回も、一日のうちでピンチの時を迎えるだなんて、思ってもいませんでした。
その後は、父と合流もし、知っている人がいるという安心感と、ここからは電車という少し空気の吸える空間が広い場所ということもあってか、段々と落ち着いてゆきました。
ふぅ。
やっと、変われたのかな、自分はと思い始めたところで、一気に振り出しに戻されてしまったような感覚。
なかなか簡単には、いかないものですね。
↑夕方、祖母のお家からお散歩した時の写真。
変わらずとも、変わろうと願えば、進めば、少しずつの角度でも、前を向いてゆけるように、なるのでしょうか。
陽の光りが射す良き方向を、今後しっかり、見つけられますように。