2017年2月2日木曜日

覚えること。動作すること。


こんばんは。

今日はお仕事での出来事を、久々に。

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ここ最近、作業をするうえでのルーティーンでやっていた役割が、変わりました。


普段、他のかたの動きを目にしていたので、自分でも出来るかと思いきや、いざ自分でやってみると、全く違う動きをしてしまいました。


「違う違う。ここはこうだよ。」と、丁寧にひとつひとつ教えてくれる仲間のかたがたには感謝で、けれど、『説明を受けること』が“苦手”なわたしは、説明を受けながら動きにおこすことが、あまりスムーズにいきません。

“ながら”作業が昔から、苦手なのです。
(最近、そのことに気が付きました。)

二つのことを、一度に同時に出来ない、というか。

二ついっぺんにやろうとすると、頭がパニックを起こす感覚があります。


なんだか、余裕がなくなって、いっぱいいっぱいになってしまうのですよね。。


お仕事でも、説明(言葉)を聞いて、頭でしっかり理解をする前に体で動いてしまうと、理解出来ていない分、動けなくて。


そんなわたしの行動に、イライラさせてしまっていないか、呆れられてしまっていないか、相手の感情や表情を気にしてしまう。。


それに怯え、動きもうまくいかなく、結果、だめだめな感じになってしまいます。

そうして、落ち込む、のパターン。


落ち込んだら落ち込んだで、心のなかだけで収めればよいものの、いかにも“落ちています”という空気を放ってしまう。

本当に気分が落ち込んでしまっているのと、あとはもしかしたら、心配をしてもらいたいのかなって。

そんな考えのよぎりも。


けれど、それは単なるわたしのわがままだと気づいたときには、そのような考えを抱いたり、そういう空気を出してしまう自分に憤りが出てきて。



仕事に集中、作業に集中。

自分は意思のない空っぽの、ただ動くだけの“人形”だって。


そうでも思わないと、あまりの《不安定》な心の状態で、自分がどういたらいいのか分からなくなってしまいます。


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“ながら”が出来ないのと、あともう一つ。

《記憶力》がないなと、ここ最近、強く思いました。


せっかく説明をしてもらっているのに、頭で理解するまで時間がかかってしまうのと、完全に説明を理解して自分のものにしないと、行動に自信がもてないのと、何度も繰り返さないとその作業を覚えられない。


このあたりは、パニック障害ではなく、アスペルガー症候群のほうに、近いのでしょうか?


向きや位置などが、覚えていたことと少しでも違ってくるとなると、頭のなかでパニックを起こし、全く分からない状態になってしまうのです。。


厄介ですね。


この“厄介”が、わたしと関わるかたにも思われてしまうのだということの、申し訳なさと恐怖感。


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写真の鬼は、今日から2月ということで、‘節分’の鬼。


スーパーで豆まき用のお豆を買ったところ、お面もお持ち帰りようで置いてあったので、もらって帰ってきました!

今日の朝、お仕事場の倉庫に飾ってみたりして笑

季節ものだし、いいかな?と思ったのですが、それを見たお仲間さんがたに、「いやいやいや(^^)」と、笑われてしまって。

それが、面白半分で笑っていたのか、本気の意味での「いやいやいや」だったのか、瞬時に後者の意味で捉えてしまったわたしは、すぐに落ち込んでしまいました。
(あまり、表には落ち込んでいる表情を出さなかったけれど。)



よいかな、喜んだり楽しんでもらえるかなと思ったけれど、そうではなかったのかな。



難しいな。



だから、人に対して行動をおこすことに、臆病になり、億劫になり、次第に止めていったのでしょう。。



自分が、“考え過ぎ”なだけなことも、あるのだろうけれど。


、、難しいな。。

2017年2月1日水曜日

ボイトレにて♪



こんばんは。

今日はボイトレでした。

お久しぶりに〈発声練習〉をしました。


息を吐くのは申し分ないとのことでしたが、ハミングや声を発するとなるとやはり、詰まりやヨレが。

スタッカートの瞬時のみの声だしでは上手に声が出てきても、その音を伸ばすとなると、すぐにダメな音に。


《過緊張性発声障害》の影響が、もろに出ているかなと思います。

声を出すことに対しての〈恐怖心〉のようなものと、〈拒絶感〉がいつの間にか、無意識に頭のなかに根付いているのかな、と。


「こうやって音を出したい」、「ここに声を乗せたい」と頭ではわかっているのに、そう出来ない、そう、させてもらえないと言ったほうが正しいくらい、身体が勝手に反応をして、声を出そうとすると、喉を締め付けてしまいます。



分かっているのに“出来ない”、ということが、悔しいですね。

「頑張って」、どうにも出来ないこと。



一体どうすれば、なおるのか、、


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それでも、ピアノでの弾き語りを先生に聴いてもらったとき、よい反応をいただけたことが嬉しかったので、大きくヨシです(^^)v


大きな鏡の前、見られながらの演奏、頑張りました!



ピアノのタッチ感、音の聴こえかた、広がりかた、声の聴こえたかた、マイクの位置、部屋の照明の暗さ、自分にとっての割りと“ベスト”な状態が、結構よかったのかもしれません。

どこかひとつでも「やりにくいな。」と感じてしまったら、それは私にとってもう大きな“マイナス”の出来事&要素となってしまうので。


常に、ベストがいい。


そのような状態、なかなかあり得ないけれど。難しいけれど。





音楽をやっていると、音楽だけでなく、自身と真正面から向き合っている感じがします。


常に闘っている。


長い間、こてんぱんにやられてきたのだから、そろそろ反撃、してみたいな。


なんて(^^)♪


自身(自信)の種、開かせられるよう、頑張ります。

2017年1月20日金曜日

カウンセリング二日目&“ナイショ話”路線。

こんにちは。

昨日は、二回目の心療内科でのカウンセリング日でした。

まず、カウンセリングの前に診察。

声が変わらずあまり出ないことに関して、「“ナイショ話”路線でいってみましょう(^^)」と。


“声を発さなくてはならない”と、頑張って言葉を発している可能性があるので、「自分の伝わってもらいたい人に"だけ"、伝わればいい。」というスタンスでの、声の音量でよい、と。


なるほど、と思ってしまいました。

「コソコソ話を話すように、喋ってみる。」


これから声を小さく発してみるコト、意識してみます!


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カウンセリングでは。


まず、お正月明けの通勤電車にて、パニックになったことを担当カウンセラーさんに、お話しました。

“不安要素”がパニックを引き起こしてしまうので、不安を取り除くこと。


“不安”と“安心”は必ず対になっているので、“安心”できる自分の感覚を覚えていくことが大切。


『パニック以上にはならない!』という考えをしっかり持たせることが大事だそうです。

パニックになる前~パニック自体がとても厳しいものなので、その先の安心感のことを考える余裕はほとんどないのですが、何とか安心感、自分の心に植えつけたいですね。


「人に迷惑をかけてしまうことに対しての“恐怖”が一番、大きいのかもしれないですね。」と、カウンセラーさんがおっしゃっていました。

「もっと自分の《好き》なところを見つけて、自分を好きになる、そして、自分を信頼してみて下さい。」


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「人に触れられたくない→満員電車、圧迫感を感じパニックになってしまう、のかもしれない。」と言ってみたところ、


《対》なので、カウンセラーのかたに「人に触れられたいのでしょうね。」とすぐに言葉を返してもらったとき、思わず涙がこぼれました。

あまりに急に込み上げてきたので自分でもびっくりですが、そういうこと、なのでしょうね。



記憶のない昔の幼き自分ではありますが、その自分を“今の自分”がきっと、一番に大きく包んであげられる。

そこは確実に、自信がある。



大丈夫、過去からの嘆きがぽろぽろっと訪れてきているけれど、しっかり私、成長しているよ。


そう考えると、今後の自分も、楽しみなのかもしれません。

2017年1月12日木曜日

女性専用車両。

こんにちは。

昨日、朝の通勤のときに、女性専用車両に乗ってみました。

というのも、前日に軽い痴漢みたいなものに遭い(笑)、『女性専用車両に乗ってみれば?』とお仕事先や彼からアドバイス頂いて(^^)

少し乗り替えに不便な号車にはなってしまいますが、痴漢対策、そして、“パニック障害対策”にもなるなと思いました。


普段、満員電車のなか、まわりのひととの距離が密接になってしまい、息苦しく感じ、パニックになってしまう傾向があるのですが、女性専用車両ですと、わたしは身長が高めなので、人との距離は近いのですが、目の前に空間があり、息を吸うのと吐くの、そこまで気にしないで自然と出来たので、それが大きな違いとなり、利点でした。


これはいい対策かもしれないと、思いました。


なるべく時間に余裕を持たせて、女性専用車両、使ってみたいと思います。


パニックの頻度、減ってくるといいなぁ。

2017年1月5日木曜日

新年初日から。

こんばんは。

2017年、明けましておめでとうございます。

今日からお仕事始めでした。

初日から早速、パニック症状でした。

朝の電車、満員電車。



それまで普通の状態で何ともなかったのに、『人が増え始めたな。。』と思ってしまってからは、もう確実と言っていいほど、パニック状態になってしまう。


今日も辛かったです。

急変するの、本当にやめてもらいたいです。

電車に乗っているほんの一駅区間でも、地獄のようです。

動悸、緊張状態から始まり、冷や汗、息苦しさ、お腹の緩み、気持ち悪さ、意識の遠退き、、


現実世界にいる自分といっぽんの線(意識)で繋がっていることに、本当いっぱいいっぱい。



「あ、だめかも。」と思ってから、ほんの数分で、全ての症状、そしてピークをむかえます。



辛すぎる。

この状態が、人でぎゅうぎゅうのときに起きるので、更に辛すぎます。


って、満員だからこそ、パニック状態が起こってしまうのだけれど。



こんな思い、人生のうちで一、二回ほどでいいよ。。


月一くらいで起こってしまうの、本当、身がもたないです。。


新年明けて一発目のお仕事の通勤で、パニック起きてしまったので、2017年、まだまだ先が思いやらされます。。



早く、堂々と電車乗れるようになりたいです。(;_;)

2016年12月29日木曜日

心療内科、初カウンセリング。



二つ目の更新。


この間、通い始めた心療内科での、初カウンセリングを受けてきました。

30分程のカウンセリング、
最近起こっている症状や、私自身のことを、自ら話をしたり、質問を受け答えたり。


男性のカウンセラーのかたで、ゆっくりと話を聞いてくれ、じっくり考えてくださる感じが、あまり嫌に感じられなかったので、今後、私の担当になって下さるとのことで、これから少しでも心開いて、色々話をしてゆけるといいなと、思います。


ひとつ、最近気になっていたことがあって、そのことをカウンセリング中に持ち掛けてみたところ、『それは少し、問題がありそうですね。』とのことでした。

『何か、(人が苦手であることの)ヒントがありそう。』、と。


その、気になっていたこととは、“小さい頃の記憶がないこと。”



一般的には、3~4歳を過ぎたころくらいから、人って記憶があるようです。


けれど私が記憶があるのは、恐らく小学校6年生くらいからの12歳から?


そのことをカウンセラーのかたにお伝えをしたら、少し驚かれているようでした。



幼稚園や小学校、お友だちや習い事、学校の光景などは何となく覚えていますが、日常的な生活の様子などは、ほぼほぼ記憶になく。

写真を見て、「ああ、ここに行ったんだな、こんなことしたんだな。」と思うことはあっても、それは写真の存在に助けられているという感じで、そのときの様子や時間の流れ、感情などは、まったく覚えていません。



カウンセラーのかたいわく、『記憶がないくらいなので、記憶を消してしまいたいと思っていたから、ないのでしょう。なので、人と接することが苦手、人から見られるのが嫌という理由のヒントはここにあるのだと思いますが、ヒントを探って、記憶を思い出していくうちに、昔感じていた嫌な感情も、思い出してしまう可能性もある。そこは、本人がどうしたいか。
もうあと、2~3回カウンセリングで話を聞いてみて、今後どう、カウンセリングのメニューを組み立ててゆくか、決めましょう。』とのことでした。




パニック、人間が苦手、昔の記憶。


まさか、小さいころの自分に、今起きている症状や障害のために、触れてしまうかもしれないなんて。



このまま、思い出さずに封印させておきたい気も大きくあり、けれど、昔の自分が出していた“SOS”が、こうして今、危険信号として《障害》となっているのなら、少し、昔の自分を自分自身の腕で、大きく抱き締めてあげたい気も。




《発声障害》、《パニック障害》、色々と繋がって連鎖して起こっている、出来事なのでしょうね。



そういえば、カウンセリングの最後、カウンセラーのかたに、『一日の終わりに、“今日も無事だった”と、自分自身に言ってあげてください。』『そんなに(人に)、怯えることはないですよ。^^』と、おっしゃってもらいました。



最後の言葉が無条件に、深く心に響きました。


思わず泣いてしまいそうな瞬間、でした。


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次回のカウンセリングは、1月中頃です。

人の気配と緊張感。

こんばんは。

少し前ですが、お仕事中の出来事。

色々と説明を受け、いざ、一人になりお仕事開始。

まず、『説明を受けた』ということに、恐らく普段以上に頭を使った(人の説明を理解するのに、少し時間がかかる)のと、『通行人が来たら、説明をしなければならない』というプレッシャー(声を出さなければならない、人と接しなければならない、苦手な説明をしなければならない)があったためか、徐々に緊張状態に。

途中、通行人のかたが目の前を通り過ぎたり、向かい側から私のほうに向かって歩いて来られることに、怯えのようなものも感じ。

2時間程、ずっと胃のあたりがグッと持ち上げられ、強く鷲掴みにされている感覚が続いていて、とても苦しく、じっと立っていることも必死でした。

唇も震え、首も不自然に何回も左右に振れ、落ち着かない、じっとしていられない、今にも泣き出しそう。


呼吸も苦しく、息がうまく吐けない。

こんな状態のときには、呼吸をするよりも、いっそう、息を止めておくほうが、よほど楽。


過呼吸寸前になりながら、何とか午前のお仕事は終えられました。

人との接点、人の気配や存在が、この日はややキャパオーバーしてしまったのでしょう。



私の症状を知って下さっているかたのいらっしゃる現場だったので、この午前中のことをお話してみたところ、気を遣って頂いて、午後は違う配置へと置いて下さいました。


障害のことを知ってくださっているかたがいるということは、とても助かることだなと、感じました。



                                         ***



写真は、この間のクリスマスに、長野県の《白馬》へと旅行した際のもの。


真っ白く雪が積もっております。


広々とした雪ぞらと青空のもと、普段できないような深い息を吸い込めるようでした。


人の存在で窮屈に縮こまっているわたしの心に、いい場所だったなという感じでした。