2017年12月1日金曜日

Superfly プレミアムライブ

こんにちは。

この間、11月15日、Superflyのプレミアムライブに参加してきました。

声の不調により、一年半程、活動を休止していて、その復活ライブでした。

どういった不調であったかは、お知らせされてはいませんでしたが、心に受けた影響も大きく原因にあるようでした。


声の不調ということで、(勝手に)親近感が湧いていて、長いブランクを経て聴く、志帆ちゃんの歌声はどのようなものか、とても気になっていました。


不調だった頃を感じさせる、歌声であるのか。


ライブが開演され、第一歌声。


"・・・!"



あまりに不調になる前と変わらない声の出方に、とても驚いてしまいました。


(声の出し方に、以前より、より集中をしているようにも見えました。
地声の低い声を特に、意識しているような?)


不調を感じていたとは思えない、堂々と楽しそうに、そして伸び伸びと声を出すその姿に、ジーンと深く、感じるものがありました。



どこまで声が悪くなってしまったか分からないけれど、Superfly、1年半で復活。


私は、もう何年?


2年以上?、も声が出づらい状態。


志帆ちゃんは、どうやって、復活したのだろう。。?



志帆ちゃんのように、しっかりと復活をして、みんなの前に戻ってくることが出来たのだから、わたしもいつかは、前のように戻れるのかな。


もう、苦しくなく声を出していた頃を、忘れてしまったけれど。


声の出し方、自分の本来の声、忘れてしまった。


常に人に対して、人との接点に対して"怯え"を抱いて、その怯えがわたしの喉を覆っているのだろうけれど、その解きかたが見えてこないと、どうしようも、復活しようもないのでしょうか。

もっと、自分自身がしっかり、導いていかなければいけないのでしょうか。



最近は、精神的にも凹んでいる時期で、全部がネガティブ思考に向かっていってしまいます。


そんな自分から、脱出しないと、と、少しでもポジティブに向こうと思うのですが、なんだか、自分自身に嘘をついている気がして、無理をしている気がして。


落ちられるときには、もっと落ちてもいいのかなぁ。


自分ひとりの時間と心を、今は、もっと優しく抱いてあげたいのです。



まだまだ脱出までには時間がかかりそうだけれど、今は流れに身を任せます。

2017年11月9日木曜日

人との接点?

おはようございます。

少しご無沙汰ぶりの、更新となってしまいました。

この更新していなかった期間、喉の調子はあまり変わりなく、パニックのほうは、女性専用車両に頼ってばかりではありますが、そのお陰もあり、以降起きていません。

(ただ一度、先週くらいでしょうか?
女性専用車両に乗っているときでも、すごく満員の状態で、ぎゅうぎゅうに押されるくらいきついときに、パニックになることをふと考えてしまい、本当にパニックになりそうになったことがありました。
一度、"パニックになりそう"と思ってからは、100%の確率で、毎回パニックになってしまっていたのですが、今回は初めて、発作を回避させることが出来ました。
恐らく、周りが⦅女性⦆ということが、安心させる一つの要素でもあったのでしょうか?)

**
さて、今日書きたいのは、昨日のことです。

昨日はお仕事で、ドアを押さえながら通行人のかたがたに声を掛けて、ドアのほうに通行を促す、という役割をする作業がありました。


もちろん、声を発する作業。


「こちらをお通り下さい。」


何故なのでしょう、ただ、声をかけてアナウンスをすれば良いだけのことなのに、"お声がけをしなくてはならない"という、プレッシャーなのでしょうか。


段々と喉の筋肉が固まってきて、緊張状態が増し、声も詰まってきて、出づらくなりました。


段々と、声を出すことに苦痛を感じました。

声を出すこと?


というより、


"アナウンスをしなければならない(=人と接しなければならない)"ということに、
苦痛を感じていたのかもしれません。



声が詰まったり大きく出なかったので、何人かのかたの耳に、届かないことがあり、悲しくもなりました。

けれど、ドアを押さえている私に、「すみませーん。」や「ありがとうございます。」の言葉は、嬉しいなと思ったりもしました。


人と接することを避けてばかりいた私ですが、今勤めている清掃のお仕事の前は、接客のお仕事をしていたので、人と接することの楽しさということも、思い出させてくれる出来事でした。


遠く、忘れていた感覚。


その分、笑顔だったり、言葉遣いであったり、相手に向けるパワーがとても必要で、わたしにはとても負荷のかかることであったりもするのですが、それもとても重要なことだな、と。


避けてばかりいては、心が触れられる嬉しさを忘れて、ただ臆病の"固まり"となり、抜け出せられなくなってしまう。


自分から、固まりをほぐす努力、ほぐそうとする努力も必要なのだ、と。


発声障害を患って数年、これからの私は、どう進んでゆくのでしょうか。


いつ、声が復活するのか、果たして復活することが出来るのか、まだまだ気長に気楽に、俯瞰的に見るくらいで、自分を回復させてゆけたらと、思います。


2017年8月22日火曜日

初めて感じたキャパオーバー。




こんばんは。

この間、ライブで共演した音楽仲間のかたと、神楽坂でご飯してきました。

積もる話もあり、4時間くらいお喋りしていました。

(わたしはどちらかというと、話すよりも聞くほうが多いかもしれません。)

音楽のこと、お仕事のこと、そして、障害のこと。

音楽活動しているSNSのほうのプロフィールなどに記してある“発声障害”を気にして、お話聞いてくれました。

音楽仲間のかたも、昔経験した、ご自身の不調のことを話してくださり、気持ちのゆとりの面で、やはり身体は悲鳴をあげてしまうものだなと、改めて知ることが出来ました。

そして、それぞれに、悩みや不調など、あるものなのだな、と。


そんなことも感じつつ、盛り上がる話もしたりして、そろそろ帰る時間かなというところで、急に声がガサガサガサ。!

驚。


「あれ?」と、感じてしまうくらい、明らかな変化。

それまでも、確かに声は苦しかったり、かさついてはいましたが、それは普段通りの出づらい声。


それが更に一段、いや、二段くらいもパワーアップしたかのような、掠れ具合。

ここまで出なくなってしまったことは、今までになかったので、自分でもとても、驚いてしまいました。

(音楽仲間のかたは、特に、気になっていなかったようです。)



恐らく、話す量が多かったことと、声を少し張って、話をしてしまったことが大きな原因かな、と思います。

それと、周りに人がいたので、“人の存在”を常に感じながら、食事の時間を過ごしていたことと、“お友だちとご飯”という、やや特別な出来事ということに、少し緊張してしまったのかな、と。


何度か、会話中、周りの人の声が妙に耳に入り込んできて、会話に集中出来ないときがありました。


音がたくさん頭のなかに入ってきて、下手したらパニック起こしてしまうくらいの感覚。

必死に、周りをシャットダウンして、会話に戻ろうとするけれど、それまで、1、2分くらいはかかるのかな。


恐らく、周りの音が気になってしまうから、余計に自分の声も、張り上げてしまうのでしょうね。


自分の声の限度を、越えてしまうというか。


楽しい時間ではあるけれど、緊張しながら楽しんでいるという感覚。


今回のお食事に限らず、日頃から。


自分以外の誰かがいたら、そこはもう、わたしにとっては緊張のある空間。

知っている人でも、知らない人でも、親しい人でも、家族でも。


どうしたらもっと、楽な気持ちでいられるのでしょうか。


どうしてこんなにも、周りを気にしてしまうのでしょうか。



それでも、「楽しい」と感じられたこの日は、自分にとって良かった日なのではないかと思います。


今まで感じてきたキャパオーバーを、更に越えてしまうことがある&越えてしまうと、こんな声になる、ということをシュウトク(←この漢字、いつも迷うのです。)した大切な日でも、ありました。


**


P.S.写真は、神楽坂にある赤城神社。

「磐筒雄命」(いわつつおのみこと)さま。

厄難消除、学問芸術の神さまだそうで。

どうぞ、今のわたしを、宜しくお願い致します。


自分で変えてゆくばかりは、とてもパワーがいるもの。

時には涙流して、強く激しく、すがりたくもなります。



そういう自分と、向き合うタイミングも、恐らく大切なのでしょうね。

2017年8月21日月曜日

耳鼻咽喉科。

こんばんは。

今日は、お仕事帰りに耳鼻咽喉科に行ってきました。


喉、筋肉、呼吸器、血液に異常などないか、気になっている部分の、まずは一つから。

喉に関しては、以前、ボイスクリニックに通うことになった初回の診察のときにも、調べてもらっていました。

念のため、声が出づらくなって二年経った今も、変わりがないか、ということで、ボイスクリニックとは別の、今度は耳鼻咽喉科で。


鼻からカメラ付きの管を通して、声帯など異常がないか、みてもらいました。
(鼻から長い管を入れる、これがなかなか、嫌な感触で。。)

正常、とのことでした。

ひとまず、喉に関しては安心ですね。


次はそうしたら、呼吸器でしょうか?



結果、精神面がいちばん大きいのかと思いますが、不安な要素は、取り除いてから、ですね。

2017年8月6日日曜日

花火大会と、久しぶりのパニック発作。


こんにちは。

更新、だいぶご無沙汰してしまいました。

それほど、しばらくはパニック状態になっていなかったのも事実。

けれど、昨日久しぶりにパニック、起きてしまいました。

*ーー

花火大会を、観に行っていました。

会場にて花火を楽しみ、いざ、帰ろうと、立ち上がり出口へと。

出口へと向かう、人の群れ。

“人が多いな。”

そう思っていると、自然とそちらばかりに意識が向かってしまい、周囲を見渡せば人人人。

“まさかここで、パニックなんて。”

安易に考えていたら、急に緊張してきてしまい。

後ろを見ても、出口に向かう人だらけ。 

空間がない。

もう元には戻れない、この場所から抜け出せられない、という状況に、大きな不安と恐怖を抱いてしまいました。



花火の会場で、お酒も少し飲んでいました。

やや満腹にも、なっていました。

浴衣も着て、お腹が少し、締め付けられていました。

わたしがパニックになりやすい要素が、揃っていたということもあってか、人混みのなか、心拍数は上がり、ふらつき、冷や汗、吐き気、意識の遠のき、5分もしないうちに、立っていられない状況(ピーク達成)になりました。


このまま立っていても気を失うだけなので、人が押し合うくらいの人混みでしたが、しゃがみこみました。 

立っているより、しゃがみこむ体勢のほうが、だいぶましです。


人の目を気にする余裕もありません。

出口へと向かう人の群れのなか、少しずつですが、人の流れはありました。

そうしたなか、しゃがみこむのはとても邪魔な存在だとは分かっているけれど、倒れるよりは、、と。


意識が半分くらい飛んでいるなかで、どうすべきか判断することは、とても困難なことです。


あと10歩くらいというところに、目の前に出口は見えていても、その10歩が果てしなく遠い場所のように、感じます。

電車でパニックが起きるときも、一緒。

たったの一駅すらも、我慢できない。


「大丈夫だよ。あと少しだから。」と言われていても、決して大丈夫ではない状態のときに、その言葉は辛く、感じてしまいます。


「ここでしゃがみこんじゃったら、迷惑だから。」


分かっている、全部、分かりきっている言葉です。


だからこそ、不安と発作を待避できない自分が、悔しくて、とても悲しくなります。


何度だって、あの生きた心地のしない、ほんの5分でも10分でもの時間はご免だと、思い、願ったことでしょうか。


花火会場、帰り道、しゃがみこむ=酔っぱらって潰れている女の子。


そう、思われているのかなぁと、一般的には。


パニック抱えている人の状況や存在も、わたしのことを知ってもらいたいということではなく、少しでも、こういう不安を日常的に抱えている人がいる、と認知してもらえると嬉しいのかな、と思います。



しゃがみこんでいるなか、「大丈夫?あちらのスタッフさんに、道通してもらえば??」と、横にいらした女性のかたが、心配して声をかけてくださいました。


ありがたいです、本当に泣きたくなってしまうくらい、温かみを感じてしまいます。


*ーー


まだまだ、パニックは治っていないですね。


今はどこにも通院していないので、また、病院探すべきでしょうかね。


ひとまず、今度、喉のほうも調べてもらいたいので、耳鼻咽喉科に行ってみようかなと、考えているところです。


喉に関しては、呼吸器科、筋肉や血管、どこを調べてもらえば良いのか分からなくなっていますが、一つ一つ、気になっているところ、おさえていってみようかなぁ、と。


今月は、会社の健康診断もあるので、そちらも、問題ないといいですね。


精神科、心療内科系は調べてもらうとしたら、身体の異常がないと分かって(安心して)からの、一番最後かしら。


*ーー


不安なしに、安心して楽しく、生活してゆきたいものです。

2017年5月31日水曜日

午後はずっと。


こんばんは。

今日はなぜか、午後からずっと、緊張状態。

これといって特別なことなどないのだけれど、ずっと肩に力が入って、呼吸も浅い。

喉もしまっていて、声がとても出づらい。


声を発するのがとても苦しいです。息苦しい。

耳の奥のほうも固く、張っている感じ。



夜から、お友だちとクラシックのコンサートを観ていたのですが、そのときも、話していなくても喉周りがガチガチで、とても苦しかったです。


お友だちといるので、たくさん話したい話題があっても、上手に話を切り出すことも出来ない。


何か話題を出そうとも、言葉を一回考えてから、ためるようにして言葉を発する。


わたしの発声障害のことを知っている彼女でも、聞きづらい声を投げ掛けるのはなんだかなぁ、と。


少し久しぶりに感じた、苦しさでした。。




実は、この間まで通っていた心療内科さん、自分の意思で通うことをやめてしまいました。


何となくですが、違う担当のかたにも診てもらいたいかなと、思い。

心療内科か、また声の専門の病院がいいのか、はたまた、筋肉の固さも大きく関わっている感じがするので、そういうほうを診てもらうべきなのか。


正直、どちらで診てもらえば良いのか、分からない状態です。



心と筋肉と頭と、どこが始まりで、どう繋がって声が出ないのか、苦しくなっているのか。



数式ではないのだろうけれど、始まりが知りたいです。


って、自分のことは自分にしか、分からないのかなぁ。。



難しいなぁ。

2017年5月30日火曜日

首のコリ。

おはようございます。

最近、マッサージ屋さんに行くのにはまっております。

肩、首のこりが激しくて。

マッサージしていただいて、やはり、“首”はかなりの「重症」のよう。

ゴリゴリした固まりが溜まっているのと、全く指が入っていかない様子。


ふと、声の出が悪いのも、ひょっとしたらこういうところと繋がっていたりもするのかな、と思ったりもします。


いや、どちらかなのか。

緊張して、普段から自分の身を守るように、ガードが固くなってしまい、筋肉も強ばってしまったのか。


それとも、


凝りが酷いが為に、声が出づらくなっているのか。


いずれにせよ、「重症」と言われてしまったからには、声の出が精神的なものからきているとしても、コリは治してゆきたいものですね。



**
今までは、《指圧》で押してもらうのみのコースを施して頂いていたのですが、昨日は初めて、《アロマトリートメント》にしてもらいました。


すごーく癒される時間でした(^-^)



コリもほぐしてもらい。


今度また、アロマでお願いしてもらおうかな?